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大  雪
2003/1/30

昨日の夕方には、道路が白くなって、今朝は、幹線道路も真っ白。
小学校の地域の役を貰った年は、こんなとき通学路の途中、農協の近くの交差点にかかる歩道橋の雪かきをしに行った。

朝7時半、仕事に向かう時に歩道橋の下を通る。
今日は、歩道橋の上で今年の役員さんだろう人が二人。
雪かきご苦労様です。

この歩道橋は、私の小学生の頃に出来たもの。
小学生は、この歩道橋を通って道路を渡りなさいと学校で言われ、道路の向こうへわたるのに100mも離れた歩道橋まで行った奴がいた。
その後、歩道橋は、車優先、歩行者排除の象徴になって、廃れていった。
そのせいなのか、それとも、もともと、小さな田舎町には需要が無いのか、こいつは、広見小学校の通学路唯一の歩道橋、じゃないだろうか。
今も、小学生の通学路葉ここを渡らなければいけない決まりになってるけど、こんな過去の遺物、流行で作っちゃたような歩道橋を使わないで、まわりの信号を渡って通学した方が便利じゃ無いだろうか、それで、特別危険が増すとは思わない。

通勤途中、可児工業前の歩道だけ雪かきが済んでいた、今度はPTAじゃなくて先生方が早出で雪かきしている様子。こちらもご苦労様です。

雪が積もると、アメリカじゃ、うちの前の雪かきしないと、そこの歩道で転んだ人が、歩道前のうちを訴える、と言う話を思い出す。
行き過ぎた訴訟社会、なんでも人のせいにするアメリカ人の典型、みたいな意味合いで語られる話だけれど、こうも考えられないだろうか。

地域の一員として、軒先の歩道くらいは整備するのが個々の市民の義務と言う考え方がアメリカでは、日本より強い。
例えば、歩道の雪が邪魔だから市役所で何とかしてくれじゃなくて、身の回りの事は、自分たちでと始末する、結果、行政のコストを減らす。
また、住民の自治といってもみんな一緒に当番制なんて手続きを通さず、単刀直入、自分のうちの前はじぶんちの責任と言う具合に、個人が直接自治を担うと言う考えのあらわれ。

とはいえ、私は市民の義務も果たさず、慌てて起きて、うちの前の雪を蹴散らして出勤。
おまけに、夕べ長靴出して、明日の雪かきに備えるじいちゃんに、道の雪なんて、日が出ればすぐに溶けるから、急がないとなくなるぞと独り言(まさかほんとに言ったりはしない)。
言うは易し、行なうは難し。反省センといかん。

幸い、今回の雪は昼過ぎには溶けだして、帰宅の頃、道路の雪はなくなっていた。

と思ったら、また少し降り出した、大人になると雪は楽しいものではない、ヤダな明日。

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