自分の人生における友達という存在を思い返すと小中高と今まで通ってきた学校で色々な友達ができたわけですが、友達になった時期に

よってその人との交友が今でも続いているかどうかという点で大きな差が見られます。小学校時代の友達は今となっては日本中の各地に

散り散りになったようで最近ではなかなか会えません。中学時代の友達もまだ交友関係を保っている人は極僅かで、知らず知らずのうちに

ほとんどの人とは疎遠になってしまいました。しかし高校時代の友達となるとそこそこ未だに仲のいい人はいるもんです。特に一緒に浪人時代を

過ごした友達っていうのは社会から一時的には 『見捨てられた弱者』 という立場を1年間ともに過ごすだけあって何か他の友達とは違う結束間が

あると思います。






さて、何となく堅苦しい前振りをしてみましたが、今日は何となく未だに凄く仲がいいというか自分が完全に腹を割って話せるような友達について

少し書いてみようかと思います。とは言っても書かれてない人が仲が悪い、とかそういうことじゃないのであしからず。






■ 小 学 校 時 代 ■

小学校時代にいつもつるんでいる友達がいました。僕を含めて4人組でとんでもないいたずらなんかを思いついてはやらかしていました。そんな4人組の

なかでも比較的ここに書くに耐えうる内容の話を書いてみます。






まず小学生高学年ともなるとだんだんと保健の教科書に書いてあることに興味が出てくるわけです、もうアホ全開の顔しながら図書館にあるユニボス21

とかいう辞典を見ながらヒーヒー言って笑ったりしたものです。そうしてるうちにやはり18歳以下の少年少女が買ってはいけない本に興味が行くようになり

ます。当然その4人の中にはスタスタとコンビニや本屋に行ってそんな本を買う勇気のある子はいなかったのでどうやってその本を手に入れるか4人で悩む

わけです。そんな時にその4人組の中の1人が本屋の近所に住んでいたのでそういった本を拾って来ることに成功しました。それはもう凄まじい世界に

小学生だった4人組は打ちのめされつつもニタニタしていました。今から思うと微笑ましいって言うかただの馬鹿っていうか・・・

そして皆で拾ってきた本を廃工場の棚に集めて 『エロ本図書館だ〜』 だなんてやってたんですが中学生らしき少年に荒らされて4人組の遥かなる

野望は幕を閉じました。なんだか当時は壮大な夢でしたが今となっては皆それなりに買ったり借りたりしてるんで結局個々人で達成できる夢だったんだな〜

と今となっては思います。






本に興味が出てきて、その欲求が満たされると次に目が行くのは当然ビデオなんです。さすがにビデオをそれと分かるように置いて行ってくれる奇特な

人はいなかったのでこれは4人組が自力で調達しなくてはならないものでした。さすがにこればっかりはどうしてもこうしても手に入れられる代物では

ありません。4人組のあくなき探究心も、悶々としたままエロ本と向かい合うことしか道を見つけることはできませんでした。

しかしここでも本屋の近くの息子がやってくれました、何やら親のビデオを見つけたというのです。そりゃあ興奮しましたとも。きっと油田を掘り当てた気分

なんかに近いものだったと思います。そんな気分と頭一杯の夢を抱えて向かうは 『本屋の近くの息子の家』 です。どうやら本屋の近所の息子はそれを

鑑賞している姿を親に見つかるとマズイらしく(小学生4人が熱心にAV鑑賞してる姿は誰が見ても健全とは言えませんが)誰か1人が見張り役で、残りの

3人が実行犯になるというプランが立てられました。最初、僕は実行犯のほうに入っていたわけですがあまりに映像のショッキングだったので激しい吐き気

をもよおして見張り役に交代しました。というのも実はそのビデオは俗に言う 『表じゃないビデオ』 だったんですよ。4人は結局あまりの気持ち悪さに

ギブアップ。情けない・・・というより小学生だから当然か。当時は女の人のアソコにはもっと夢一杯な何かがあると思ってたんですが現実は甘くなかったです。






あと別にエロい話とかどうとかでは無いんですが、マヨネーズ事件という事件があります。これは6年生の時に給食で出たサラダに添えてある袋入りの

マヨネーズに関する事件なんですが、当時の給食のマヨネーズというのは1人分ずつ小分けされていてその袋は結構脆く破れやすいものだったんです。

ある日、マヨネーズが余っているのを僕が発見して4人組の中の1人と踏んづけて潰そうと努力してみました。しかし小学生の力では破裂しません。そこで

4人組の中でもっとも体が大きかった子に踏ませて見ました。が、やはり無理。小学生の力じゃマヨネーズの壁は突破できないのか・・・とあきらめかけたその時、

ある名案が思い浮かんできました。椅子の足の下にマヨネーズを置いて、その体の大きい子に勢い良く座ってもらうという案です。これなら力を無駄なく

マヨネーズに伝えることができます。さて、そうした名案を思い浮かべたら即実行してみたいのが小学生。とりあえず掃除の時間が終わり、5時間目も終了した

時、作戦決行の合図を出しました。そして数秒と経たないうちに彼が椅子に飛び乗りました。その瞬間、 『 ぶ ち ん ! 』 という破裂音とともになにやら

四方八方に高速で飛んでいく乳白色の物体が見えました。最初のうちは何事も起こらなかったかのように時は流れていきましたが、だんだんクラスの人たちから

マヨネーズ臭いとの抗議が殺到し始めました。そして案の定、われわれの椅子の下に落ちているしなびたマヨネーズの袋は発見され、マヨネーズを全部ふき取る

ように先生から怒られました。しかしこのマヨネーズはとんでもないスピードで弾けとんだらしく、廊下にまで飛び散ってました。さらに天井を見上げるとなにやら

不気味なツララのように垂れ下がったマヨネーズが見えました。さすがに天井のマヨネーズは先生にも気づかれなかったので事なきを得ましたが、マヨネーズって

本当に恐ろしい食材だな、と切実に感じた一日でした。






そんな感じの小学校時代でしたが本当に楽しかった。毎日が生きているっていう実感に溢れてました。毎日学校が楽しみで楽しみでした。成人式で

集まれたのを機にまた集まって思い出話なんかしてみたいものです。






■ 浪 人 生 時 代 ■

正直、最初は浪人生活に恐れをなしていたわけですが実際に浪人生活に入ってみるとこれがまた楽しいんですよ!ホントに。思わずびっくりマーク

使っちゃいましたけど心底楽しかったです。特に夏休みのあたりまでは受験ムードなんて全くなくて皆で授業サボって近くの古本屋さんまで行っては

漫画立ち読みしまくって暇になったらゲーセン行って・・・の繰り返し。授業中にエロDVDの付属のチラシ読んだりして史上最強の馬鹿の名をほしいままに

していました。具体的にどのへんが楽しいのかを少し書いてみますか。






楽しいのは毎朝の電車から始まります。メンツはいつも5人なんですがいつも絶対にギリギリで来る人とか朝うんこをしたがために310円の特別料金を

払わなきゃ乗れない電車に乗るハメになる人などなどがいました。大体僕以外の4人は電車でも勉強していたんですが、まぁ暇なので僕は1人でしゃべって

ましたね。今から思うと1人だけピエロです、あ〜情けない。






予備校に着くとまずは授業。あ〜だりーとか思いながら大体寝ます。起きたら昼ごはん。大概松屋とかでしたがパン一個とかいう極貧の時もありました。

この飯のイベントも楽しいんです。飯の次の時間が空いてる場合はまずゲーセンか古本屋で遊べるうえに友達と下らない話で盛り上がってました。

いやいやこんなに楽しいことばっかりしてちゃ大学うからないだろ、とか思いましたが目先の楽しさに引きずり回されてました。

ただ授業もそれなりに楽しくて、分からないとこが分かるようになる喜びっていうのも確かにありました。それに講師がやる気まんまんでおんぶにだっこ

の状態で、模試をやるたびにそれなりに成績がよくなるというのも勉強が楽しい要因でした。

しかし夏休みを過ぎると周りの空気も受験ムード・・・・になるはずもなくやはり日々ダラダラ。この頃に予備校の近くにブスっ子クラブがあると聞いて

見に行ったらほんとにブサイクな人がその店の隣の喫茶店に入っていったのを目撃して 『ほんとにブスだね』 なんていう小学生みたいな感想を言いながら

笑ってた覚えがあります。んでこれまた近くのAVショップで本買ったりDVD買ったりでもうホントに予備校生かと。

受験が終わってみんな全国に散っちゃいましたが今でもたまに集会したりできる大事な友達です。次に会えるのはいつなのか、と日々楽しみにしてます。

実はこの時期に今のゲーセンでの友達も色々できて、同じ地元のよわみつ氏やたいらー氏、その他大勢の方々なんかには非常にお世話になりました。

彼らもまた浪人時代が作り出してくれた大事な友達ということでありがたく思ってます。年齢が離れている友達っていうのは学校生活では作りづらいだけ

あって非常に参考になる話を聞かせてもらったりと、得る物は大きかったです。






こんな感じで友達の思い出なんかを振り返ってみましたが友達って言うのは、自分のものの考え方とかを変えてくれるとかそういう精神的な成長を手助け

してくれる意味でもありがたいものではありますが、やはり 『毒にも薬にもならない』 というある意味非常に 『無駄』 な時間を共有できるというのが一番

ありがたい部分かと思います。友達以外と過ごす時間っていうのは常に合理性や能率、意義を追求されるものですが友達と過ごす時間だけは自分の心を

そのまま表現できたり、逆に胸のうちを一切表現しないで上っ面だけで下らない会話ができたりします。無駄は無駄でもこれ以上に贅沢で有意義な時間が

存在するでしょうか?いつでも何も考えずに笑って話していられるという時間の大切さを忘れている人はもう一度思い返してみてください。こういった時間は

心に安らぎを与え、そしてその安らぎは精神を豊かにしてくれるます。そしてそんなものは人生においても非常に数少ない大事なものですよ。






何となく喧嘩をしてしまったまま連絡を取ってない友達がいたり離れ離れになったまま連絡していない友達がいるのなら、この便利な時代です、ケータイを

手にとってみて電話一本入れてみてはどうでしょう?電話が無理ならメールでも良いじゃないですか。仕事や勉強だけに囚われてしまっていて、なかなか

友達と連絡がつかない人は無理をしてでも少しだけ休みを取って気の会う友達と飲みにでも行ってみてください。

きっとその人との付き合いはあなたの精神を2倍にも3倍にも豊かに、そして人生を楽しくゆとりあるものにしてくれるはずです。