サッカーファンなら誰でも知っているマスターズの選手たち。伝説にすらなっている彼らを使ってみたいというのは極々当然のことである。というわけでAリーグでは1人だけマスターズから選手を選んでいいというルールがあった。その伝説の選手たちのAリーグでの活躍を見ていきたい。
リベリーノ
第2回シーズンでジェノバに所属。歴代マスターズ出身で最も印象の薄い選手。私はこのページ制作のため記録を見るまですっかり忘れていた。この頃の塾長はサードバックで、中盤の左をやっていたと思われる。第2節でレゴとRADに連敗し、チーム建て直しのためロマーリオと共に解雇される。
ケンペス
第2回シーズンの第2節終了後、解雇されたリベリーノに代わりジェノバに加入。3トップの一翼として得点を量産し、ジェノバの優勝に貢献。このリベリーノとの交代は成功であったようで、第3節以降は無敗であった。またこの時獲得した25得点はシーズン途中参加では歴代最高得点。
第3回シーズンではRADに移籍。それなりの活躍は見せるが、チーム不振の建て直しのためクライフ加入により解雇される。ある意味歴代マスターズ出身の中で1番波乱に富んでいた選手。
ミュラー
第2回シーズンでRADに所属。ロッシとの併用により、ロッシが出場するジェノバとのアウェイ戦以外に出場。センターフォワードとして得点を量産し、このシーズンの得点王に輝くが、Aリーグ史上最も影の薄い得点王と呼ばれたりする。
第3回シーズンではケンペスと入れ替わりラ・ヴァルスに移籍。しかし4−4−2と2トップに変わった塾長チームでは出場機会は恵まれず、同僚のカズと共にベンチを温める日々が続いた。
ロッシ
第2回シーズンでRADに所属。ミュラーとの併用により、ジェノバとのアウェイ戦のみという非常に限定的な起用をされた。私自身なんで2人とも獲得したかったのか、ロッシはなぜジェノバのアウェイ戦だけなのか(イタリア人だからという理由だった気がする)いまいちよく覚えていないが、偶然にできたこの限定的な起用法が思わぬ効果を生み、ロッシは神懸り的なパフォーマンスを発揮。無機質なはずのゲームの歓声が満場のロッシコールに聞こえ、ホームは引き分けで充分と言われたほどだった。
ベッケンバウアー
第2・3・5回シーズンでレゴに所属。プレイングマネージャーとしてチームを牽引。何よりも彼の特徴はリベロでどのポジションもやれるということで、FWとDFのコンバートが禁止されていたAリーグにおいて例外的にどのポジションに入れても良いことが許されたことだ。ある時はスイーパーだったり、ある時は中盤でゲームメイクしたり、ある時はFWとして得点をあげたりした。この起用にはおうさんから「レゴは全然彼を使いこなしていない」との批判もある。
現実ではクライフとの対決は有名であるが、ゲームのデータ上では差があるため、Aリーグにおいては常にクライフの圧勝であった。
第3回シーズンではいしけんがドラフトでベッケンバウアーの指名を忘れるという凡ミスを犯し、ドラフト終了直後にウーゴ・サンチェスが解雇される事態がおきた。さらに開幕第1戦目にも登録し忘れていた(なぜかウェガリーが登録されていた)という大失態を犯す。
第4回ではレゴにプラティニを強奪されたボンボが報復として指名。しかし前シーズンのパリ大虐殺のAAFA制裁措置により獲得権を放棄され、ボンボ入りはなくなった。
ジーコ
第2回シーズンでボンボに所属。第1回でもシェフホワイテッド長坂に所属していたが、この時は「スーパーフォーメーションサッカー2」でデータもピークを過ぎたアントラーズ時代の能力であったが、「スーパーフォーメーションサッカー‘94」に変わり、データは全盛時の能力に。しかし豪華な選手が揃ったボンボではあまり目立つことはなかった。第5節のレゴ戦で赤ケガをし、残りの試合には出れなくなってしまい、記録のノートにはでかでかと「ジーコ引退」と書かれていた。第3回以降ドラフトで指名されることはなく実際に引退になってしまった。
クライフ
第3・4・5回シーズンとRADに所属。第1回でも何故か「スーパーフォーメーションサッカー2」でオランダチームに入っていたため(ジーコと違い能力は全盛時)グリンピアショップ緑にドラフト1位で所属。
第3回シーズンで薮ちゃんはファン・バステン中心のチームコンセプトを掲げチーム力を下げたのだが、その背景としてファン・バステンの踵のケガの治療で大量の金をつぎ込み、資金がなくなったと設定。しかしリーグ戦が始まるとあまりの成績不振に我慢できず当初のコンセプトを曲げて選手強化として全選手中最高クラスのクライフを加入。その時「テクニカルディレクターでいたが現役復帰したため金はかかってない」と多少現実のクライフのエピソードに似た言い訳を用意した。
決定的場面にもかかわらず得点王へのアシストとしてわざわざファン・バステンにパスを送る姿は、「ヨハン・クライフ全記録集」での晩年のパスに徹する姿(キーパーをかわした後に横パス)とダブらせ「クライフパス」と非難された。
RADのパス回し中心の戦術では、クライフのデータや特徴をを生かしきれてなかったかもしれない。
プラティニ
第3回シーズンでボンボに所属。彼もクライフと同じ理由で第1回はクラシスト5に所属。
ボンボ在籍時にはその他の豪華メンバーにより目立った活躍はなかったため、いしけんに「俺のほうがプラティニらしく使える」と批判され第4回ではレゴが強奪。80年代のユベントスを彷彿とさせるM.ラウドルップとの2トップを組んだ。
ベスト
第3・5回でUQSA、C−20に所属。全選手中トップのドリブル力を誇り、左のギッグス、右のベストとしてかんちゃんチームの高速ドリブル両ウイングを形成。
ゾフ
第4回シーズンでACトリノに所属。「スーパーフォーメーションサッカー」においてキーパーの能力差はほとんど関係ないため、1人枠しかないマスターズからキーパーを選ぶというのは完全に他をなめている。それだけならまだしも、正GKはカンポスだった。多分マスターズ出身参加選手でで唯1人1試合も出場しなかった選手であろう。
ガリンシャ
第4回シーズンでボンボに所属。当初ボンボは第4回のドラフトでレゴにプラティニを奪われた報復としてベッケンバウアーを指名したのだが、AAFA制裁措置として5人の獲得権を放棄させられることになり、その中でベッケンバウアーが選ばれたため、渋々獲得された選手である。
往年のポジションに近いウイングハーフにコンバートされ、ガリンシャほどの選手でも前線に組み込まれないボンボの選手層の厚さに他のチームは度肝を抜かれた。
「ゴールを決める気もなくディフェンダーとキーパーをドリブルでかわし続けたために審判から警告を受けた」などのおうさん好みのエピソードの数々、奔放な私生活、そして高い能力データと非常にボンボらしい選手であり、もう少し早い段階でAリーグに参戦してキャラクターを確立していれば、もっと注目を集める選手になっていたかもしれない。
チャールトン
第4回シーズンでC−19に所属。イングランド史上最高の選手である彼がかんちゃんに選ばれるのは当然であろう。
4−3−3の中盤の中心でプレー。そのためか「キャノン・シュート」はあまりお目にかかれなかった。
リベラ
第5回シーズンでAC故郷に所属。もちろん現実では歴史に残る名選手であるが、ゲームのデータ上ではパッとしない選手であり、R.バッジョ中心のチームコンセプトにより選ばれた。
4−4−2のディフェンシブハーフでプレー。周りはロートルばかりで固められたチームのため、マスターズ出身としてはパッとしなくても、チームの中では非常に重要な戦力であったと思われる。そのためか塾長チームでは唯1人のシーズン通してプレーしたマスターズ出身選手。