『フォーメーションサッカー』シリーズについて

荒屋塾のサッカーゲームの歴史、そしてその成果としてのAリーグ開催を支えた『フォーメーションサッカー』シリーズ。
ここでは7作に及んだシリーズの概要と荒屋塾との関わりについて列記したい。
[フォーメーションサッカーヒューマンカップ‘90]
@1990年4月27日、PCエンジン用ソフトとして、ヒューマンより発売。
Aその後のサッカーゲームの流れの中では完全に異端になる縦スクロールの画面にさしたる疑問も感じずに塾生たちはプレイしていた。
だが当時の荒屋塾は『ファミスタ』が全盛。塾内でムーブメントを興すまでには至らなかった。
Bしかし4人同時プレイができることと、試合時間を実際の45分ハーフに変更できること(標準は5分ハーフ)に目をつけた大原が「4人プレイで45分ハーフの試合」を提案。
超耐久にて、世にいう「フォーメーションサッカー45分ハーフ」が開催された。


[スーパーフォーメーションサッカー]

@1991年12月13日、スーパーファミコン用ソフトとして、ヒューマンより発売。
Aただし購入したのは発売日よりかなり後のことであり、大原が『スーパーファイプロ2』(1992年12月発売)を買ったついでに中古で買ってきたという程度の話だったと思われる。
しかし荒屋塾でながらくもてはやされていた『ファイプロ』シリーズもやや倦怠期に入り、新たな荒屋塾のオフィシャルなゲームが求められていたことと、おりしもJリーグ開幕を控えて盛り上がりつつあったサッカーブームを受けて、にわかに脚光を浴びることとなった。
B試合中に相手の選手を負傷させると確実に退場処分を受けるといった、いささかディフォルメの効きすぎた部分もあったがゲーム自体は塾生にも好評。
それぞれの好みのナショナルチームを使っての荒屋塾ワールドカップも開催され、これが後のAリーグへと繋がっていくこととなる。

          

[スーパーフォーメーションサッカー2]
@1993年6月11日、スーパーファミコン用ソフトとして、ヒューマンより発売。
Aついに荒屋塾の新たなオフィシャルとなり、プレマッチとして開催されたみねやカップの後に、第1回Aリーグが開催された。
BAリーグ開催の大きな契機となったのは、やはりエディットチームの作成が可能になったためであろう。これによりナショナルチームによる能力差の呪縛から逃れ、各々が納得できるチームを作成できるようになった。
またこのゲームだけの独自のアクションである「リフティング」を塾生たちが次第に効果的に使えるようになるにつれて試合はどんどんハイレベルになっていったのである。

          

[スーパーフォーメーションサッカー ‘94]
@1994年6月17日、スーパーファミコン用ソフトとして、ヒューマンより発売。
A第2回Aリーグを開催。塾生が大学生となり、大原・いしけん・薮ちゃん・ぎんたの主要メンバーが全国へ散ってしまったため、荒屋塾はその存続すら危ぶまれていた。
しかしその不在をおうさん・平田・英一・栗ちゃんらが守り、長期休みになった途端に鮭の遡上のごとく主要メンバーが帰ってきたために杞憂に終ったのである。
むしろこの主要メンバーの不在によって、荒屋塾はより多くの人間にその門戸を開く機会を得たということが言えるかもしれない。その成果が大原に代わるおうさんのAリーグ参戦である。
またいしけん・薮ちゃんはそれぞれの大学で『フォーメーションサッカー』を布教し、そのパフォーマンスを落とすことなくAリーグに参戦した。
B今までのシリーズと較べるとディフェンス有利な印象が強いゲームであった。
タックルをかわす時のジャンプの幅が小さく、ドリブルでディフェンダーを次々とかわしていくということなどはまず不可能である。
しかしそれ以外のフィールドの広さ、登録選手の数、熟練とイマジネーションによってさまざまなプレイを可能にするキックの種類など、ゲームとしてはいよいよ完成の域に近付きつつあった。


[スーパーフォーメーションサッカー ‘94〜ワールドカップファイナルデータ]
@1994年9月22日、スーパーファミコン用ソフトとして、ヒューマンより発売。
A第3回〜第5回のAリーグを開催。
かんちゃんが新規加入し、5チームで開催されたAリーグの円熟期、つまりは荒屋塾大学時代の黄金期を支えたゲーム。
第5回シーズンの終了を最後にAリーグ、そして荒屋塾としてもこれ以降大規模なイベントが開催されることはなくなってしまった。
B基本的には前作『スーパーフォーメーションサッカー‘94』のデータ改定版だが、ディフェンス有利のゲームバランスにも調節が見られ、個人技による攻撃も大いに可能になった。
これによってゲームとしてのサッカーのプレイ感覚は絶妙の域に到達し、塾生の中からは「後は毎年選手のデータを入れ替えるだけで良い」という意見も出るほどの完成度を誇ったゲームである。
またこの完成度の高さは塾生たちが前作で身につけた技術を本作にも引き継ぐことができたという事も大きな要因であろう。
塾生たちは1年以上にわたって1つのゲームをプレイし続けてそれぞれのプレイスタイルを構築していき、それがこのゲームのポテンシャルを余す所なく発揮させる結果になった。逆に言えば本作にはそこまで長くやり込める奥深さがあったのである。


[スーパーフォーメーションサッカー‘95 della セリエA]
@1995年3月31日、スーパーファミコン用ソフトとして、ヒューマンより発売。
A荒屋塾の期待を一身に浴びつつ、しかる後にそれを裏切ったゲームとして塾生の記憶に刻み付けられているゲーム。
本作が発売された後も前作『スーパーフォーメーションサッカー‘94〜ワールドカップファイナルデータ』でAリーグが続けられたことから、塾生たちの本作に対する並々ならぬ拒絶っぷりを窺い知ることができる。
Bこの不評の原因として、ひとつはゲームの舞台が各ナショナルチームによるワールドワイドなところから、1国内リーグ(といくつかの有名クラブチーム)に縮小されたために、前作までにAリーグ使用していた選手の多くが存在すらしなくなってしまい、代わりに名も無きイタリア人が大量に登場したという点が挙げられる。
また無理して導入する必要のなかったオフサイドが時に不可解な判定を生み、フラストレーションを募らせた。
キックの強弱のつけ方の変更(+字キーから各キックボタンの押す時間の長さへ)や、シフトキック(LRボタンを押しながらのキックで16方向への蹴り分けが可能)などアナログ的な操作方法を導入し、より繊細な操作感覚を目指していた気配は窺えるが、逆にこのキックの自由度(慣れてくるとフィールドのあらゆる位置・角度からゴールを狙える)が「とにかく蹴ったもん勝ち」という大味な展開を生み出し、ゲームとしてのバランスを壊してしまったように思われる。
Cなおこのゲームには限定版として、『ザクア・バージョン』と呼ばれるモノがあったようだ。

           

[HYPERフォーメーションサッカー]
@1996年3月22日、プレイステーション用ソフトとして、ヒューマンより発売。
A第6回Aリーグ開催への起爆剤となる期待を一身に浴びつつ、しかる後にそれを裏切ったために荒屋塾のフォーメーションサッカー離れを決定づけたゲーム。
Bスタジアムの芝の深さに種類がある、試合中の天候がある、選手のパラメータがさらに細かく設定されている、などの塾生をくすぐる要素が数多く用意されていたが、それによる奥深さはほとんど感じられなかった。選手に体力のパラメータがあり、ドリブルなどを多用すると後半スタミナ切れになってしまうため、無闇に大きくなったフィールドをただ無駄にボールが飛び交う展開になりがち。
おまけに大きくボールを蹴ると、選手が追いつけないことが多く、芝のグリップが強くなる雨天の方がむしろ試合がしやすくなるという逆転現象も生まれた。
また試合中の音楽が全く無く、聴こえるのはサポーターのざわめきとラッパの音とたまに喋りだすジョン・カビラの声だけという、非常に淋しいゲームである。

        
Aリーグ トップページ