岐阜県立可児高等学校
塾生達の母校。ここでの帷子地区以外の人々との出会いが荒屋塾の名を可児市中に広めるきっかけになったといえるだろう。
当時は岐阜県は管理教育のメッカ、その最たるものが可児高校といわれており、その名にふさわしい教師達や多くの課題と試験などがあり、全員ヘルメットの義務はその象徴だったといえるだろう。
しかしそういった中でも塾生達は毎日塾でゲーム三昧。試験休み中にいしけんが塾長邸で一人黙々と『フォーメーションサッカー』を練習していたのは有名である。
昼休みのサッカー場
危険がウォーカーズvsがんば富加の熱戦が連日繰り返された
望嶽館
平田が先手必勝看板にボールをぶつけ壊してしまう
臨時の全校集会で犯人捜しがあったが当然しらを切っていた