Austin Flint murmur

Austin Flint, Sr. オースチンフリント
近代型聴診器の生みの親
バッファロー大学開学の祖

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文責  山本内科耳鼻科院長 山本秀平 (2003/9/22)

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今も昔も世界中のどんな医学書にも必ず載っているオースチンフリント雑音のお話です。 この雑音といえば、医学生なら、 "内科も外科もとにかくどうしてこうも覚えなきゃいけない事が多いんだ、 オースチンフリント、カレークームズ、グラハムスチール、スチル、、" と一生懸命勉強中ですが、"あれっどれがどれだっけ"、という方もたまにはみえるのではないでしょうか。 きちんと勉強してきっといい医師となられん事を期待します。

内科の先生ならどなたも、 "ああ、大動脈弁閉鎖不全だけど僧帽弁狭窄症みたいな拡張期ランブルみたいな音ですね、 大動脈弁閉鎖不全の雑音ってホントあれ聞きにくい音だけど 人の命に係わる、聞き逃してちゃいけない大事な心臓雑音ですよね" と多分、おっしゃるでしょう。

循環器専門医の先生なら患者さんにカラードップラーの検査を行いつつ、 研修医、医学生に "見て御覧なさい。 大動脈弁からの逆流ジェットが僧帽弁前尖 (anterior mitral leaflet) を直撃、圧迫し、 僧帽弁は相対的に狭窄の状態になっていますね、 これがオースチンフリント雑音の本態です。 患者さんの許可を得ていますから順番にドップラーと聴診をやってごらんなさい。" とお教えになってみえるでしょう。

オースチンフリント先生と私のかかわりについては最後にご紹介します。 さて先生は 1812年マサチューセッツの生まれですが、米国最固の大学ハーバード大学医学部を 1832年に卒業、何と二十歳で卒業、 時は日本の江戸時代、文化文政期でした。当初はボストンで元気に開業しておられました。

が、西の方角には医者が少ない事に先生は志を新たにし、 はるばるニューヨーク州の西はずれバッファローという田舎町に移り、引き続き開業されました。 名声はあっという間に遠くの町々にも伝わり、大活躍がすぐに始まります。 ところで当時この地には医学校が無かったため、先生はそれを設立する事を決意します。 つまり先生こそニューヨーク州立大学の前身、バッファロー医学校を設立した大学開学の祖でありました。 次々と学部は新設され、医学校は総合大学となりました。

先生は初代学長となり、公務に追われる間もひたすら時間を割いて患者さんの診療にあたりました。 そして両耳聴診器を考案しました。 現在世界の医療従事者全員、そう、全員が使っている聴診器のプロトタイプです。

ところがひとたび大学が軌道に乗るや、さっと職を辞し、再び一人の医者として次なる新天地へ。 その間にもフリント先生は聴診器ひとつを武器に幾つもの論文、教科書を次々と著しました (see bibliography)。 かくして人々は先生を当代米国を代表する近代医学の祖として尊敬する事となりました。 常に国民全体の幸福を願って見えたのです。 素晴らしい方ではありませんか。

尤も当時の循環器病学は 問診、視診、打聴診、亡くなられた患者さんの剖検結果と生前カルテとの対比検討、 これが学問の全てでした。 レントゲンのX線発見以前の時代です。

ですから、ドラえもんお願い、タイムスリップしてフリント先生に是非、カラードップラーを見せて上げたい。 間違いなく、”うーんあっぱれ、見事な診断じゃ、君達は素晴らしい”とお褒め下さる事でしょう。 先生の時代、日本では日本の医学の祖、杉田玄白先生が見えました。 ところで玄白先生も聴診してみえたのでしょうか。







さて近代医学の歴史を刻み、幾多の著書の原動力となったオースチンフリント先生自身の聴診器は スミソニアン博物館には行かず、 ニューヨーク州立大学の所蔵となり、医学部図書館に安住する事となりました。

私は同大学に1986年に留学しましたが、先生が創設者と知ったのは初めて図書館に入室した時でした。 以後の私の人生ですが先生の生涯を知る事が思わぬライフワークとなりました (bibliography)。 当時図書館は先生の偉業を称え、Austin Flint Hall と呼ばれていました。 いつの間にか栄えある名が Health Sciences Library と変り、私にとっては少し残念です。

図書館の入り口にはガラスのケースに先生の肖像と聴診器が陳列してあり、 人がまばらな時を見計らっては時々はそこで深々と礼をするのが私の楽しみでした。 その事は図書館秘書には東洋人の神秘の儀式と思われたのか、思われなかったのか、 兎に角、循環器の医者のはしくれの私にとって、大先輩先生への当然のご挨拶だったのです。

明日は帰国という慌しい日に図書館へ走り、では山本帰りますと大先生に最後のご挨拶をして記念写真を一枚とりました(冒頭写真)。 写真ですが、リバーサルフィルムをスキャナーに載せて1200 dpi でスキャン、RGBヒストグラムを解析修正、γ補正し、 復古調、セピア風にするという、普通は人の思いつかない事をしてみました。 なにせ先生は文化文政期の方ですから。 撮影はとっくに製造中止の Canon A1, 当時の最高級一眼レフで、スライドではディテールを写しています。

肝心の聴診器は、ハイ、肖像の右下に少し黒く盛り上がっている部分です。 しまった撮り直し。 ドラえもんお願い、ドコデモドアちょっと貸して!


Bibliography
付記(2003/10/8)
そもそも初めて聴診器を発明したお医者さんはどなたでしょう。記録として残るものとしては、 フランス人の Rene Theophile Hyacinthe Laennec (1781-1826) のようです。 それまでの聴診は胸に直接耳を当てる方法だったようですが、1816年のある日の事でした。 ご婦人の診察があり、ご婦人もだけど、先生はもっと恥ずかしかったんですって。 それで先生は見回した部屋の中にあった堅い紙で急遽、筒を作られました。 アメリカのフリント先生はまだ4才の坊やでした。
Laennec RTH : Traite de l'auscultation mediate, 2d ed. Paris : Brosson et Chaude, 1826
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