Erie County Medical Center の
so-called Pink Buildingでの出来事

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文責  山本内科耳鼻科院長 山本秀平 (2003/9/17)

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筆者は1986年から二年間、米国メルク財団の奨学生としてニューヨーク州立大学バッファロー校医学部に留学しておりました。 主任教授は医学部薬理学教室の Dr. Edward A. Carr でしたが、 彼のご厚意で同大循環器教授 Dr. Francis Klocke とも接する事が出来ました。

クロッケ先生は冠循環の権威でAHA(米国心臓協会)の理事でもあり、高名な方でした。 大学には市内に数箇所の教育病院を抱え、その一つがエリー郡医療センター(図, ECMC)です。 クロッケ先生はECMCの循環器科部長でもあり、彼が主催する循環器カンファランスに毎週参加しました。

場所は同センター内の通称ピンクビルディングで、忘れられない建物です。 時間は二時間ほどでしたが、これが超濃密なものでした。 彼を囲んで複数名レジデント(研修医)が一人ずつ、機関銃のように競い合って早口で発表、 討論も皆、早口至上主義、これが職場のひとつのルールだったのです。

発表者は皆、文献も相当数調べ上げており、発表の一部として重要視していました。 知識の競い合いです。 また発表は速いの何の、十件前後の文献について学んだ事を数分で発表するのです。 そこに博覧強記のクロッケ先生が更に追加発言すると彼の面目躍如といった所です。 私が発言する機会はあまり有りませんでした。 彼らが討論している事はきちんと判りましたが。

このようにレジデントが一人前の循環器専門医 MD, FACC (= Fellow of American College of Cardiology) になるには臨床経験に加え、 とにかく記憶力・膨大な知識力が必要とされる臨床教育の場を目の当たりにしてしまいました。 レジデントはやがて専門医試験に臨み、見事パスしたもののみが循環器専門医の肩書きを名のる事が出来るのです。

晴れて MD, FACC となっても次に待ち受けているのが CME (= Continuing Medical Education)、生涯教育の試験です。 米国では医師は試験、試験が生涯続く大変に厳しい職業なのです。 日本ではそうでもないというのが正直な所です。

ところで循環器科では、医学部学生、インターンは床屋さん風ユニフォーム、 レジデントともなるとユニフォームを捨てワイシャツにネクタイ、首に聴診器を掛けるのがしきたりでした。 循環器専門医になると白衣を着ます。部長になると白衣を捨て、背広です。病院長も背広でした。 私ってひょっとしたら循環器専門医でいいのかなと最初、白衣を着て参加しましたが、 こんな所で見栄を張っても仕方が無い、 自分の知識の無さが恥ずかしくなりその後はワイシャツにネクタイで参加して沢山のレジデントと友達になりました。

そこへ丁度私の論文が循環器雑誌に掲載されたら、友達が私を見る目が少し変ったようでした。 勿論、友人は皆私を Shuhei と呼び捨てにしてくれました。 ドクターあるいはミスターと呼ぶ事は、米国人にとってはお前は俺の友達なんかじゃないという意味なのです。 ドクターと呼ばれた事もありましたが、それについては(別記事の最後の部分) をどうぞ。

References

Yamamoto S, Ogawa S, Kitano T, Shima K, Sakamoto T, Shibamiya K, Kondo T, Sotobata I :Complete evaluation of the cardiovascular lesions in 24 patients with Takayasu's aortitis using four-image, intravenous digital subtraction angiography. Am Heart J 114(6):1426-31, 1987
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