大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
尾高動詞 |
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僕:今日の話題はいささかショッキングな内容と言える。 君:表題を書いてショッキングもあったものじゃないわよ。「皆様へビッグなお知らせ、飛騨方言のアクセントには尾高動詞という可笑しなものがあるのでございますよ。」と同意語じゃないの。 僕:いやあ、他ならぬ僕が今日も昼食後のお散歩で気付いてしまった事で、僕にとっては大事件といってもいい。 君:皆様に順を追ってご説明なさった方がいいわよ。 僕:そうだね。では早速。日本語のアクセントには東京式と京阪式がある。 君:そうね。 僕:飛騨は一般的には文法が畿内文法で、アクセントは東京式と書かれているし、当サイトも長らくそのスタンスで運営してきた。 君:そうね。 僕:だかしかしだな、飛騨が東京式アクセントというのは大いなる誤り。飛騨は飛騨式アクセントだ。飛騨式アクセントは東京式アクセントに酷似していて、そして畿内アクセントとは180度近く異なるアクセントである。いわば「なんちゃって東京式」それが飛騨式アクセント。 君:要は飛騨式アクセントは東京式のグループだけど、ちょっぴり違っている点もあります、という事ね。尾高動詞がその例。 僕:その通り。それ以前の問題として、日本語のアクセントを考える場合、名詞の世界と動詞の世界、この二つの世界がある。 君:それはそうよ。形容詞の世界だってあるわ。 僕:名詞の世界の場合、平板型と起伏型があり、起伏型は尾高・中高・頭高の三つに分かれる。つまりは名詞のアクセントは平板・尾高・中高・頭高の四つに分かれる。 君:それは違うわよ。それを言うなら、共通語アクセントの世界では、の枕詞が必要だわ。畿内アクセントは高高があるのよ。 僕:失礼、東京式の名詞のアクセントの世界は四分類だ。 君:それで動詞は。 僕:動詞の世界はぐっと簡単になって、東京式アクセントの世界は尾高が無いんだ。つまり動詞のアクセントは平板・頭高・中高の三種類のみ。勿論、頭高と中高を合わせて起伏動詞という。 君:こういうのはね、何事も実例がいいわよ。 僕:そうだね。要は動詞のアクセントの世界において尾高と平板を分けるものは何か、実は簡単な事だ。動詞部分にアクセント核があれば尾高動詞であるし、なければ平板動詞。より具体的には「〜と」を終止形に接続させてみると簡単にわかる。例えば「おわる終」は東京式では平板だが、飛騨式アクセントでは尾高だ。東京式「おわるといいね\。」、その一方、飛騨では「おわる\といいね。」、このアクセントの違いは大きすぎる。飛騨方言では起伏動詞のアクセント体系がある、という時点で、東京の人々は・・あれっ、佐七さんのアクセントって少しおかしいな、東京っぽいけれど東京の人じゃないんだ・・とお感じになるはず。 君:東京式「おわるとすれば\」、飛騨「おわる\とすれば」、なによ、あなた田舎のアクセント丸出しじゃないの。遠い昔にばれていた、という事なのよ。 僕:うん。その事を今日の午後に思索しながら散歩していて突然に気が付いたんだ。僕も68歳になるし、このサイトを始めて10年以上だが、今なお発見がある事に驚かされる。帰宅後は書斎に駆け込み、成書を片っ端から当たってみたが記載無し。そもそもが飛騨方言の専門書は少ないし、ましてやアクセントの記載となると寂しい限り。著者らの名誉の為に書物の名前は敢えて伏せさせていただこう。 君:でも少ないながらも飛騨方言の動詞のアクセントの記述はあったのでしょ。 僕:勿論ね。でも表記がアウトだな。○●、つまりは高低の評価だけ。これでわかるのは上がり目だけ。日本語のアクセントで重要なのは上がり目ではなく、下がり目。つまりはアクセント核がどの部分か、という事が決定的に重要になってくる。つまりは、平板か尾高か、そんなわずかの違いなんてどうでもいいでしょ、という訳にはいかないんだよ。 君:ほほほ、今まで気にもせず当サイトに記事を書いていたくせに。 僕:それは昨日までの僕。今日の散歩で僕は飛騨方言に尾高動詞というものが有る事に気づいた。日本語アクセントとしては珍しいという事になると思う。僕は今、昨日とは全く異なる世界に生きている。毎日、飛騨方言の事を考え続けていて本当によかった。 君:なるほどね。では今日のお話は東京「おわるとしましょう\」、飛騨「おわる\としましょう」。明らかに違うわね。ほほほ |
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