飛騨方言は純東京式アクセントですが、時には、えっ関西系じゃないの、
とビックリされる方があります。
さて何故アクセントなどというものが存在するのかといえば、
畢竟、聞きやすくするため、つまりはロボットが棒読みする
言葉には高低も強弱もないので話し手の情感が伝わりません。
今の時代は、カーナビ、自動販売機などの大半の機械が自然な人間の
話方、というか要は東京式アクセントで発声してくれるように
なりました。
昔、宇宙家族ロビンソンというのをテレビでやっていましたが(うわーっ古すぎる!)、
フライデーというロボットが、キンキュージタイハッセイ、とか、
ケイサンデキマセン、とか言っていましたね。
でも、考えてみたらフライデー役の声優さんが一生懸命に
一型式アクセントという日本語をやってたんだよね。
前置きはさておき、棒読みではなく情感をこめた話し方と言う事は
第一には語の切れ目がよく判ると言う事でしょう。
そして東京式アクセント、つまり飛騨式アクセントに於いては、第一拍と第二拍は必ず異なる、という
最重要規則があるそうです。つまりは、高低か低高しかない。
高々も低々も存在し得ないのです。
筆者が小学生の時、ニワニワニワニワトリガイル、というのが
大流行した事を思い出します。
○●▼○▼○○●●●●▼○ 庭には二羽鶏が居る
○●●○○●●●●▼○▼○ 庭には鶏が二羽居る
▼○○●●●●○●▼○▼○ 二羽鶏が庭には居る
▼○○●▼○○●●●●▼○ 二羽庭には鶏が居る
○●●●●○●▼○▼○▼○ 鶏が庭には二羽居る
○●●●●▼○○●▼○▼○ 鶏が二羽庭には居る
別に頭がくらくらする必要はありません。
実はアクセントが違うみっつの語、つまりは
○●▼○ 庭には
▼○ 二羽
○●●●● 鶏が
の順不同の組み合わせで、3x2=6通りの文章があるというだけの事で、
▼○ 居るは共通という訳です。
つまりはアクセントを意識する事により語頭を間違える事がないので
聞いてたちどころに意味がわかるというわけですから、
やはりアクセントというものは飛騨方言を美しくする要素という
わけですね。
飛騨方言ぁアクセントを大切にせる美しい国の美しい言葉っちゅう事なんやさ、安部さん。
あなたの演説をいつも聞かせていただいていますが、時々
東京式アクセントではない時がありますね。わざとですか。