飛騨方言は典型的な東京式アクセント内輪系なので、
つまりは何を書いても結局は共通語の事を書いている事に
なってしまい、つまりは私達の郷土の方言はこんなケッタイなアクセントです、
と情報発信できないのです。実は。
実は今日も苦し紛れに原稿を書いています。
単なる話題づくり。さて、東京語で例えば、おれはさしちだぜ、
というのを○●▼○●●▼○と発音するのでしょうかね、おそらく。
となれば、俺・佐七、ともに無核。これを飛騨方言に
訳しますと、おりゃあさしちやさ○●▼○●●▼○。何の事はない、
東京語のアクセントにどんピシャリ一致していますね。
ところで、おらあグズラだど、という言葉があります。
その昔テレビのアニメでやっていました。共通語に訳すと、私はグズラです。
そのアクセントですが、おらあグズラだど▼○○▼○○○▼。
こうなりますと、完全に飛騨方言とは異なるアクセント体系です。
これはいったい何処の地方の方言なんですかねえ、故・金田一春彦先生。
つまりは飛騨方言では、おり○●、で無核ですが、グズラ君の方言は、おれ▼○、
で有核なのです。飛騨方言では女子は老いも若きも、わたし○●●、の人称代名詞を用い
共通語に同じです。やはり無核です。
ところがさにあらず。文例ですが、私も五十です、という意味で、おりも五十やさ○▼○○●▼○○、と言いますね。
勿論、○●▼○●▼○○、といっても飛騨方言です。
つまり結論ですが、飛騨方言で、俺、は平低ないし尾高。また飛騨方言では、私もなのよ、という意味で、
わたしもえな○●▼○○○、と有核で言ってもいいし、○●●▼○○、と無核で言ってもよいようです。
つまらない議論だと感じてお見えの方のために、面白い事実をお披露目しましょう。
実は、飛騨方言・おれ、はそもそもが無核であろう、という佐七節です。
例えば飛騨方言では、私の家、という意味で、おらんどこ、と言いますね。
おれのところ、が訛った言葉です。そしてアクセントは○●●▼○です。
また飛騨方言では、私の周辺、という意味で、おらんまり、と言いますね。
おれのまわり、が訛った言葉です。そしてアクセントは○●●●●です。
以上から、飛騨方言第一人称代名詞・おり、はそもそもが無核であった事は
明らかでしょう。いつのまにやら尾高が飛騨方言に紛れ込んできたのです。
戦後でしょうね。マスコミの影響でしょうね。
いやたった一人佐七のみが有核○▼を使い始めている可能性もある。
しゃみしゃっきり。
おまけ
上記でもやはり文章に迫力がない。落ちとしては欠けています。
と言う事で追加記載します。
さて、おらあグズラ、おりゃ佐七、この文章を眺める限りは、おら・おり、のじづら字面に
両方言の差を感ずるでしょう。がしかしジヅラは本質的な問題では
ありません。おらあ佐七、と言っても実は飛騨方言なのです。
問題はアクセント、おらあグズラ▼○○▼○○・おらあ佐七○●●●●●、
このアクセントの差は大きい、というか決定的ですね。
佐七は言いたい、ジヅラが方言の差じゃねえぞ。この落ちならどう?
|