大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
ピアノ |
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僕:日常会話であまり神経質になる必要はないが、お国訛りは自分では気付くのが難しいね。 君:飛騨方言ではピアノのアクセントは頭高なのよね。 僕:誰もが中一になると英語をスタートする。piano のアクセントは pia'no であると習う。 君:英語では強弱アクセントであるのに、それを日本語の高低アクセントと勘違いして中高つまりは○▼○で発音するとリーダーでは合格だし、アクセントの試験問題もこれでオッケーという事なのよね。 僕:国語中等教育ではアクセントの事は一切、習わなかったな。アクセントに興味を覚えたきっかけは此の方言サイトを立ち上げた2004年頃からだ。金田一春彦先生の華麗なるアクセント学の世界に引きずり込まれて、先生の著書を買い漁ったよ。日本語のアクセントといえば類聚名義抄が有名。ただし今の僕の知識レベルでは理解が難しい。 君:かっこうをつけていないで「ピアノ」に話題を絞ったほうがいいわよ。 僕:そうだね。家内が生まれも育ちも名古屋で、飛騨と同じく「ピアノ」のアクセントは頭高だった。東海地方のアクセントという事だろうね。 君:一つの単語のアクセントの違いで、東京のかたがたにはお里が知れてしまうのよね。 僕:関西の人々はいいよね。上方のアクセントだから東京アクセントと違っていても臆することなく話す事ができる感じだね。千年の歴史の都・京都は東京よりプライドが高くて当然とも言える。飛騨は田舎だが、アクセントは東京式だと思い込んで話した単語のアクセントが違うと、ましてや、それを指摘されてしまうとドキッとするんだよ。 君:「えっ?アクセント違いますね。どちらのご出身ですか?」とか。 僕:でも、名古屋はまだいいかもしれないね。三大都市圏だから、名古屋弁のどこがいけないですか、というプライドを保てなくもない。東海高校や旭丘高校出身の医学部同級生は名古屋弁丸出しなんだよ。それに、なんといっても三遊亭円丈という名古屋出身の噺家がいらっしゃるしね。名古屋弁が炸裂する落語が聞ける。以下の動画を観てもうなづける、名古屋弁はかなりメジャーな方言。「だもんで織田信長 」という訳だ。なーんでよう新幹線代払って歌舞伎座なんかいかっさる?東海地方なら御園座だぎゃあ。銭の使い方間違えてまって、たあけかぁ!! 君:飛騨高山の出身である事をカミングアウトしてうらやましがられた事ないの? 僕:正直言って高山市街に生まれたかった。市町村合併で高山市にはなったけど、生まれ育ったのが戸数20ばかりの小さな村だからね。FMが聞けないんだよ。勿論、ピアノのある家はゼロ。小学校にあっただけだった。 君:ピアノを弾くのは小学校の先生だけ。 僕:そう。ところで「ピアニスト」のアクセントだがアクセント核が「に」の中高アクセントだよね。 君:そうだけど。 僕:つまりは平板アクセント「ピアノ」に接尾語(辞)「イスト」が後接すると「ノイ」が連母音融合してアクセント核となる事に気が付いた。更には接尾語(辞)全般に言える事だろうけど、接尾語(辞)にはアクセント核が存在しない。「アート」は頭高だが、「アーチィスト」も頭高、つまりは平板型名詞に接尾語(辞)がくっつく時に限って、当該名詞の最後の拍がアクセント核になるようだね。 君:なるほど。 僕:「コミュニスト」共産主義者という名詞だが、「コミューン」共同体という名詞が中高で「みゅ」にアクセント核があるから、同じ「ニスト」という接尾語(辞)でも、「ピアニスト」の場合は「に」にアクセント核が出現するし、もともと「ミュ」にアクセント核が存在する「コミュニスト」という名詞の場合は「に」にアクセント核が移動する事はないんだよ。「バイオリン」も「ピアノ」と同様に平板なので「バイオリニスト」のアクセント核は「に」。 君:なるほどね。単語には常にたった一個のアクセント核しか存在しないのね。 僕:その通り。それは基本中の基本。だから三拍以上の音韻において高低高▼◯●というアクセントは日本語には存在しない。 君:なるほど、確かにないわね。 僕:もうひとつ、基本的な事としては、日本語に代表される高低アクセントでは、ピッチが上がる事、つまりは低い音から高い音になる事にはほとんど意味が無くて、一体全体どこでさがるんだ、つまりはアクセント核はどこだ、という事が最重要なんだ。アクセントで同音語を瞬時に聞き分けられるという事は、例えば花と鼻、どこが下がる箇所かという事を脳が瞬時に判断できるという事。 君:話を元に戻して、そもそもが東海地方で「ピアノ」が頭高になってしまった原因は何かしら。 僕: Good question! And I wish to give you a smart answer. ピアノが明治あたり、つまりは日本古来の他の楽器より極めて遅く東海地方に入って来た事が最大の原因だろうね。当初、この見慣れない楽器をどう発音してよいものか、東海地方では中高から始まったものの、いつのまにか、あらら、頭高になったのでは、と推察する事ができる。昔は存在していたアクセントの地域差、つまりはアクセント方言学も、現代では、ごく限られた言葉のみになってきている。 君:ところでピアノはお聴きになるの? 僕:ああ、好きだね。今の時期はサティー。ピアノの詩人。人恋ふる秋という訳だ。社会人になってからの恋が本物の初恋というのだろう。生涯、忘れられないね。 話は飛ぶが、家内とワルシャワ郊外のショパンの生家を訪れた事がある。家内のお嫁入り道具のピアノが一台あるが、娘二人は弾く。僕は滅多に弾かない。高校時代はモーツァルトのトルコ行進曲が十八番だったのに。今は専らクラシックギター。ホセラミレス。アルハンブラの思い出。仕事でもお二人の音楽家の患者様、(くにたち)国立音大出のピアニストと某オケの第一バイオリニストなんとコンサートマスター、がいらっしゃって、診察のついでに音楽のイロハを耳学問で教わっている。有難い事だ。 君:楽しそうね。音楽の秋よね。 まとめ 日本語の高低アクセント、つまりはピッチアクセントの本質をひと言で・・どこで下がるかが大問題。平板、頭高、中高、尾高、の四種類のアクセントは、つまりは decrescendo、どの部位のモーラ(音韻)で下がるか、アクセントの核(▼)がどこにあるかを示しているのです。 |
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