月末と月初ぁ仕事であれこれ忙しいもんでなあ、
こんねのんびりと、ブログっていうか、だばえたいな
文章書く暇ぁなかったんやさ。今日ぁちょっと暇あるで。
2007/8/25 にちょっこし高山へ寄ったんやけどえな、
今日までに幾つかアップロードしとるで、
例えばえな、久美愛病院の院長さんに会ってきたんやさ。
東京の人なんやさ。杉並区のご出身やと。
大東京に育ったんやがなんで高山なんて田舎に
住むようになってまったんやろ??!!って言ってござったさ。
あーれかわいいじさまで、って言う飛騨方言の意味が
わからなんだと。病気でかわいそうなじさま、って意味に
決まっとるながいな。
以上が前置きやさ、いつも長うてかになあ。
その日やけど国分寺によったんやさ。
書き下ろし・泣ける言葉・廃校、の前置きに
ちょっと書いたんやけど。
国分寺の前の住職さんが佐七の高校の担任・北原先生やったんやさ。
しばらくごふれいしとってまってなあ、はや何年も
国分寺にお参りしとらなんだんやさ。
久しぶりに境内歩くとなあ、ありゃ?こんね小さい寺やったがよ!、
三重の塔見てなあ、ありゃ?昔ゃあもっと高がったながよ!、
なんて思ってまうんやさなあ。
皆そやろ。何十年ぶりに小学校へブラッと寄るとえな、
今も昔も変わらんはずの校庭やけど、どえれえちんびくそう
みえてまうんやさなあ。
寺の入り口の方ぇ歩くと、昔あったもんが
のうなってまってなあ。変わりに、
高山ちょける、って書いどるボンボリゃ建っとったさ。
見るとなあ、全国の人のよせてくらはった川柳の短冊ぁ
ぶらさがっとるし。
わしゃなあ、ちょける、っていう飛騨方言ぁ全然使わんのやさ。
そやけど、ここでなあ、国分寺でなあ、
高山ちょける、っていう祭りゃ何年か前にあったんやろ。
そやけど祭りゃあのうなってまったんやろ。
ネット検索したら何もでてこなんださ。
おもしろうて、やがて悲しきチョケルかな 佐七
なんてなあ、パクってなあ短冊に書きとなってまったんやさ。
今なあ、名古屋・中津川・豊田とかなあ、こういう
夏の仮装盆踊りゃ大流行なんやさなあ。
そうやで、はじめて高山チョケルやらはった人達ゃあ、
えらかったんやぜな。パイオニアやぞ。
そやに高山でゃあ、はやのうなってまったんやろ。
そやけど佐七ゃこの夏に国分寺で見たボンボリゃエピタフ epitaph やさ。
飛騨方言の墓碑銘やさ。
飛騨の衆ぁはずかしがりの人ばっかやでなあ、
あんまし時代の最先端の祭りやってもだしかなんだんやろ。
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