大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

にわる にわう

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共通語の、にぎわう、という動詞ですが、飛騨方言では、にわる、と書くのが正しいのでは ないでしょうか。

にぎわう、から一字脱落して、にわう、という動詞があったとしても、勿論、終止形・にわう、はなんとなく飛騨方言のセンスにあいますが、 ところが、にわう、は未然形でつまづきます。

にわる、を打ち消して、にわらない、あるいは、にわらん、としても飛騨方言のセンスにあうでしょう。 はやる店が一方にあれば、一方にはやらない店、はやらん店、があるという文例で容易に理解できましょう。 また一方、戦う、の打ち消しが、戦わん、ですから、にわう、の打ち消しは、にわわん、にわん、になります。 がしかし、にわわん店、にわん店、では意味が通りません。 連用形では、にわりて、も、にわいて、も、ともに促音便化しますと、にわって、となり区別が付かぬ事になります。 動詞・にわる、にとっては皮肉な連用形です。

ところが、動詞を名詞化すると、こんどは、動詞・にわる、が初めてつまずきます。 つまりはにぎわう事を飛騨方言では、にわり、と言わないでしょう。 むしろ、にわい、あるいは、にぎわい、というのではないでしょうか。 この点のみが、動詞・にわる、について面白おかしいところです。

結論ですが、活用そのものはセンスのある、にわる、は飛騨俚言動詞に間違いないでしょうし、 活用するとナンセンスである、にわう、は、動詞ではない、といのが筆者なりの考えです。 また、動詞の体言化は、共通語に従い、にぎわい、というのが飛騨方言ではないかと筆者なりに考えます。

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