大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

つづり、つづれ

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つづり(綴り)、ということばですが、綴り方つまりスペルという意味以外に継ぎ合わせた衣、粗末な着物という意味があります。古語辞典に記載がありますし(今昔20四二)、共通語としては死語に近い以上、飛騨方言のひとつという事にはなります。あるいは飛騨方言としても死語に近いというべきでしょうか。

さて表記の問題、というか発音の問題ですが、同じく古語辞典には、つづれ(綴れ)の記載も見られます。意味は同じです。ただし言葉としては「つづれ」は「つづり」の後代に出来たようです(近松)。そして現代語・共通語になりますとネット検索した結果では「つづれ」と表記する情報が多いようです。ツヅレコオロギという学名がありましたし、また、「哀れの少女(故郷の人々)」の堀内敬三訳詞にありますように「つづれ」がむしろ現代の日本人には慣れ親しまれているという事でしょうか。
哀れの少女(故郷の人々)
作詞 大和田建樹 訳詞 堀内敬三 作曲 フォスター

2番 つづれの衣(きぬ)の やれまより 
   身を刺(さ)す寒さ いかほどぞ
   哀れぬれゆく おとめ子よ 
   世になき家を たずぬらん
ただし、飛騨方言では「つづり」のみ。

コオロギのついでですが、コロコロと鳴く音は古代の日本人には実は「ツヅリサセ」と聞こえていたようで古語辞典に記載があります(古今・雑体・1020)。事実、飛騨方言の文献にコオロギの鳴き方を
つうつう、つんづりさせ
と記載するものがあるようです。筆者自身はコオロギの鳴き方をこのように言った事はないのですが、心象としては飛騨方言のセンスにあっていると思います。蛇足ながら富山方言に、つづれさせ・ちょっとさせ、群馬方言に、針させ・つづれさせ、が見られるようです。

さらに余談は続きますが、つづりさせ、とは衣服をつづって針を刺せ、という意味ですね。つまり、つづり(連用形)+させ(命令形)、というわけです。いっぽう富山や群馬では、つづれ(命令形)+させ(命令形)、の複合語になります。

つまりは飛騨方言では複数動詞を並列させる場合は、連用形+命令形の言い方しかないという訳でしょう。飛騨方言では飲み歌えといい、飲め歌えとは言いません。また飛騨方言では、飲み居る、が音便化して、のみょうる、といいます。これの命令形は、のめおれ、ではなく飲み居れ、が音便化して、のみょうれ、になります。

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