大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

そもそも当サイトで定義する畿内文法とは

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私:飛騨方言を一言で表すと畿内文法と東京式アクセント、今日は飛騨方言を全国の皆様にご理解いただくために基礎中の基礎という事でお書きしたい。当文章さえお読みいただけたら、後は全て枝葉末節とお考えいただいてもよろしいかと思う。まずは「畿内文法」の同意語は?
君:文法という言葉に同意語は無いも同然だから、畿内の同意語ね。上方、関西、京阪神、近畿、西側、等々、切りが無いわ。
私:君が今、列挙してくださった五つの言葉のなかにたったひとつだけ正解がある。答えは西側。
君:つまりは当サイトにおける畿内文法の定義とは、日本における方言東西対立(江戸と上方)における上方に属する方言という意味かしら。
私:上方か、というと飛騨方言は断じて上方方言ではない。畿内と言えば上方に接する北陸地方や紀伊半島を含めるといったところか、つまりは上方の周辺、つまりは田舎で話される方言と文法の骨格が近似しているのが飛騨方言という意味かな。より具体的には方言東西対立考の通り。文法的に考えると飛騨は西なのか、東なのか、西に近いのが飛騨方言という結論が導かれる。が、然し、ここで大問題。
君:あら、ごちゃごちゃと書かずに、実は飛騨は中部地方なので西でも東でもありません、とお書きなさいよ。
私:そうなんだよ。日本を東西に分ける大方言境界線が実は二本ある。浜名湖から乗鞍山脈を経て親不知に抜ける線、木曽三川から養老山脈・白山山脈を経て砺波平野に抜ける線、この二つだ。
君:発見されたのは近代ね。
私:そう。発見者は明治政府、発見されたのは1906年、口語法調査報告書・口語法分布図。日本における国語学の幕開けといってもいいだろう。日本に於いて方言学がスタートした年だ。戦後に最も影響があったのが東条操の方言区画論(1953)。飛騨方言は東海東山方言、つまりは東側の方言という事になった。アクセント学的見地からは正に正解。飛騨は典型的な東京式アクセント。
君:口語法調査報告書は文法に着目した研究だったのね。
私:日本語のアクセント学は戦後に始まったといってもいいかな。日本語アクセント史研究とアクセント観などもご参考までに。同論文で着目していただきたいのは引用文献欄。一遍を除いて全てが戦後の論文だ。
君:飛騨方言は明治政府により文法学的には畿内文法に近く、戦後の研究者の方々により東京式アクセントである事が明らかにされた、という事ね。
私:その通り。繰り返しにはなるが、日本を文法学的に東西に分断する大境界線が二つある。乗鞍と白山だ。そしておらが町、飛騨の高山市はこの大境界線に挟み撃ちされていて、飛騨方言は西側とも東側とも言えないヘンテコリンな方言というわけ。
君:つまり正確には畿内文法に近い飛騨方言の文法というわけね。
私:早い話が濃尾平野の方言(ギア方言)がそうなんだ。ギアとは岐阜・愛知の事。飛騨方言は尾張方言の亜流だね。
君:地勢的には飛騨は北陸に近いのに尾張方言の影響のほうが大きいのね。
私:高山市は裏日本、つまりは日本海側なのに岐阜県が東海地方に分類されるので、日本海側の高山市は東海地方なんだ。ぶっ
君:あなたの故郷、大西村は?
私:よく聞いてくれた。太平洋側だ。大西村を東海地方と呼ぶ事になんら心理的障害はない。飛騨川は木曽川の最大の支流で伊勢湾に注いでいる。
君:なるほど。飛騨は中部地方のど真ん中で、正に日本のへそというわけね。ほほほ

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