協同組合飛騨木工連合会サイトの記事に
“かにかくに 物は思わず 飛騨びとの 打つ墨縄の ただ一道に”
(万葉集巻十一・二六四八番歌 詠み人知らず)
があります。
恋は一直線、という意味の歌ですから実に微笑ましい歌ですね。
また東大寺諷誦文稿(とうだいじふじゅもんこう)の一節が
古代文学会公式サイトの
山口敦史先生の論文・セミナー通信 第三三号に
各世界に正法を講説したまふ者は、詞に礙解无し。
謂はゆる大唐・新羅・日本・波斯・混崙・天竺の人集まれば、
如来は一音に風俗の方言に随ひて聞か令めたまふ。
仮令此の当国の方言・毛人の方言・飛騨の方言・東国の方言・仮令、飛騨の国の人に対ひたまふとも
飛騨の国の詞にて聞か令めたまふ。
説きたまふ云。訳語通事の如し云。
仮令、南州に八万四千国の各、方言の別有りとも、
東弗等三州之れに准ふ。
六天大唐の人に対ひたまふときには大唐の詞にて説きたまふ。
他は之れに准ふ。
草木に対ひては草木の辞にて説きたまふ者。
金色の蓮華い、千莖、佛の所に往詣で、七?して佛と物を申す。
余人は聞き知ら不。唯し、佛のみ聞き知りたまひて、
倶に談ひたまひ、花の申す所に答へたまふ。
鳥獣に対ひては鳥獣の辞にて説きたまふ者。
氏の現代語訳・"・・たとえ「当国方言」「毛人方言」「飛騨方言」「東国方言」など各国の「方言」であっても、教えを聞かせる。・・"
を交えて紹介されています。
東大寺で話されていた飛騨方言とは飛騨工の言葉に他なりません。
都の人達にとっては大変に聞きづらい、
強烈な訛りの飛騨方言であった事が伺えます。
また別の話題ですが、〒637-1333 奈良県吉野郡十津川(とつかわ)村の
十津川方言集が
公開されていますが、ところでこれが実に飛騨方言と似通っているのです。
やはり飛騨工が古くは都・奈良県吉野郡の言葉を飛騨に持ち帰ったのであろうと
どうしても考えたくなってしまいます。
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