大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

れんき・飛騨方言

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土田吉左衛門著・飛騨のことば、に、 電気をレンキ、 電信をレンシン、 電話をレンワ、の記載があります。 これら飛騨方言が話されていた時代は戦前でしょうが、 戦後あたりには話されなくなったのではないでしょうか。

共通語・電気、の語誌については明治書院発行の 講座日本語の語彙十一巻に詳しいのですが、 明治時代からの言葉です。 江戸時代には既に電気の概念はあったのですが、 オランダ語を訳してエレキテルと呼ばれ、 越列吉的爾、越列機、等々の様々な宛て字が用いられました。

電気の言葉の初出は1855年の博物新編という書です。 同書は中国で成った洋学書で、明治初年の沼津兵学校の 教科書、および小学校の読本として明治二十年頃まで 使用されたそうな。つまりは、明治の文明開化と共に 怒涛の如く西洋文明の漢語読みが広まる中、江戸時代の 日本人が懸命に考えた越列機の宛て字は如何にも稚拙であり、 中国人が考えた電気の言葉に敗北したのです。

さて、飛騨で初めて電燈がともったのはいつでしたっけ。 各種ネット情報があります。 神岡鉱山の社宅に初めてともったようですね。 自家発電だったのでしょう。 或いは坑内に先にともった、というべきでしょうか。 飛騨で初めての電力事業は小坂町、の情報もありました。 広い飛騨に寒村ばかり、電気の普及には少しばかりの 年数を要したのでしょうね。でも、電気がレンキと訛って しまったのは何故でしょう。

さて本題、佐七節です。 飛騨方言では当初、デンキと呼ばれていたのに 徐々に訛ってレンキになったのでしょうか。 それは断じてありません。 電気がともった瞬間に訛ってしまったのです。
うわあ、明るい!ランプより明るいわい。 (電気を言い間違えて)やっぱりレンキじゃ。
あるいはこうも考えられるのです。 とうとう隣村まで電気がやってきた。 今月は自分達の村にレンキがやってくる、 という事で、つまりは電気が普及する前に 何とすでに訛っていた可能性があります。

戦後はまた西洋かぶれ文化で、片仮名が氾濫し、 エレキ、といえば電気ギターを示すようになったのですが、 レンキギター、という言葉が若しあれば、エレキギターと 発音できない幼児語の語彙にありそうな気が しませんか。 つまりは、また佐七節ですが、レンキはエレキも意識した訛りである。 しゃみしゃっきり。

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