大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

飛騨方言・精出いて、の年代毎の語変化に関する一考察

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中部から西日本の方言に、精出いて、がありますが、 この言葉の方言量、つまり派生語は実に多く、 小学館方言辞典では、
 せーだい・益田郡、
せーだいと・富山県砺波や石川県兵庫県など、
せーだして・京都府、
  せーで・福井県、
 せーらと・佐渡、
 せーでと・佐渡、
 せだいて・石川県河北、
 せだいと・富山県、
  せって・福井県、
 へだいて・富山県砺波、
 へだいと・富山県砺波、
等の記載があります。本稿はこのような全国的な語変化ではなく、飛騨地方において、精だいて、がどのように変化してきたか、という事について筆者が知る事をお書きしましょう。

さて我が故郷・大西村(高山の南隣)では、実は大半の人が、せらい、と言うのですが、一部の方で、せで、という方もあります。その一部の方とは、実はお隣・宮村から嫁いでお見えの方で、筆者の知己・生まれも育ちも宮村の者も、せで、を使います。

以上が前置きで、さあ飛騨方言の勉強ですが、土田吉左衛門著・飛騨のことば、という重要な資料があります。同書は飛騨方言約一万語を記載した飛騨方言の総合辞典です。いわば明治時代から昭和時代までの飛騨方言の姿がほとんどすべて記載されており、飛騨方言の研究に欠かせない超一級資料です。ところがその記載は実は三語、せーだい、せでて、せれ、のみです。意味は勿論すべて同じ(さっさと、いそいで、早く)です。平成の時代の今、おそらく、せでて、は死語に近いでしょうね。がしかし土田先生著の昭和時代には話されていたのでしょう。つまりは、せでて、と言う言葉が、せでに変化したのはごく最近と言う事がわかります。といっても
江戸時代 戦前あたり 戦後から
精出いて>せでて > せで
あたりが真実に近いという事ですね。また、大西村で使う、せらい、ですが、
    江戸時代 明治    大正   昭和   平成
大西村 精出いて>せいらいて>せいらい>せらい >せらい
高山  精出いて>せいでて >せでて >せで  >せで
    精出いて>せいらいて>せいらい>せらい >せれ
益田郡 精出いて>せいだい >せーだい>せーだい>せーだい
ざっと、このように言葉の変化があったのです。ただし五十年乃至あるいはもっと、時代がずれる可能性はあります。なにせ話し言葉ゆえ、文献がないのです。この点だけはご容赦を。

でも、たった一つの言葉なれど、結構面白いでしょ。そやでおりゃいつまでもこの研究をやめれんのやさ。
おまけ
どこかの誰か君にこの事をお話ししたら、せでの語源てのは、急いで、の略だろ、との一点張りでした。信じ込むのは結構ですが、でも明らかな間違いですよ。しゃみしゃっきり。

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