まず表題の説明ですが、飛騨方言・たいもない、はとんでもないという意味で、各地の方言としてネット検索でヒットします。
やくたいもない、という言い方もありますが同意でしょう。話題はジャガイモについてのとんでもない話です。
飛騨方言でジャガイモ、別名・馬鈴薯を"せんだいも"と言いますが、
実は私は、薩摩でとれて全国に広まったのがサツマイモだから、
当然ながら仙台でとれて飛騨にも伝わった芋が仙台芋で、これが転じて"せんだいも"と
なったのであろうと子供の頃から最近まで、ずうっと思っていました。
この語源は調べればすぐ判ることなのでしょうが、私は
別に深くも考えず、疑問もいだかず、また故郷を離れてはや三十年余、日常語として
"せんだいも"を使用するわけでなし、振り返れば小学校たしか五年生、家庭科の実習で
(あの子と)こふきいもを作った事がよく思い出されるという程度なのです。しかしながら
方言サイトを開設するとそれでは済まされなくなってしまいました。
高山市サイト・史跡・名勝・幸田善太夫墓
幕府直轄地(天領)時代
せんだいも雑話 林格男 飛騨春秋 470号('00・3)P2-12
などを予備知識として考察しますと、ジャカルタのいも、つまりジャガイモが、"せんだいも"に転じた歴史は、
ぜんだゆういも>ぜんだゆいも>ぜんだいも>せんだいも
と発音が変化した歴史であろう事が容易に推察されます。
という事は、今後も変化する事だってあるでしょう。つまりは飛騨方言の未来予測ですが、
せんだいも>せだいも>せたいも>えたいも>たいも のように変化していく可能性があります。
さて歴史は語る、"ぜんだゆういも"から"せんだいも"に語変化するのに三百年弱の年月が経過しています。
"せんだいも"が"たいも"に語変化するのは、あるいは一千年以上、
たいもない時間 ( 実はこれが言いたい ) がかかるかもしれないし、
あるいは死語化、終には"せんだいも"が最後の言葉となってしまう可能性すらあります。
それこそ、幸田善太夫老にとっても私にとっても、たいもない話です。
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