当サイトは文字の博物館です。つまりは、やがて消え去る物、汝の名は飛騨方言。嗚呼。さて、とうになくなった筆者の祖母ですが、確か生まれは明治ですが、座敷の事を「じゃしき」などと言っていた事をフッと思い出しました。
こんな些細な事ですが、それでも- 佐藤亮一監修・方言の地図帳(以下、佐方地)、
- 土田吉左衛門著・飛騨のことば(以下、土飛こ)、
- 岩波書店日葡辞書(以下、岩日葡)、
以上三点をずらっと読み漁りますと言葉の変遷が見えてきます。
佐方地に詳しいのですが、背中を「しぇなか」と言ったり、風を「かじぇ」という方言が各地にあるが、これは中世の中央の音韻であると。イエズス会ロドリゲスの、娑界(=世界)という体言は「シェカイ」と発音すべきなのに関東では「セカイ」と発音している という文典を紹介しておみえです。
次いで、岩日葡です。世界は Xecai でした。佐七も先ほどまで、いゃあ知りませんでした、やはり畿内では古くは、つまりは安土桃山時代は「しぇかい」だったのです。ついでですが、岩日葡には Xacai がありました。面白い事がひとつ、漢字の表記は上記の通りですが、実は社会ではありません。娑界です。つまり娑婆の世界です。当時はまだ、仏教語はあっても現代語の社会という言葉はなかったようです。それでも娑婆の世界こそ社会そのものですから、意味はピッタリとあっていますね。
次いで、土飛こです。ありました!!「じゃしき」。まだありました。「だしき」。意味は同じです。
以上をまとめますと、江戸時代初期あたりまでは中央・つまり畿内にあわせて飛騨方言でも座敷の事を「じゃしき」と呼んでいたのでしょう。これが飛騨方言では明治まで続いていたのでしょうね。
ところが江戸幕府が滅び、中央は東京になりました。東京語が標準語と定められてしまったのです。つまりは、座敷の読み方は「ざしき」。これ以外はご法度です。猛烈な方言パージが始まりました。飛騨地方においても、徹底的な国語教育がなされたのでしょうね。つまりは、座敷を「ザシキ」と読めと。「じゃしき」なんて読む生徒は、方言札、つまりレッドカードを首にかけさせられるのです。つまりは power harassment そのもの、今の時代なら新聞沙汰教師です。
さてなんといっても面白いのが、土飛こ、です。すでに滅んだ飛騨方言と言う事で「じゃしき」が記載されているのなら佐七にも理解が可能ですが、件(くだん)の方言パージの中、じゃしき>だしき、という音韻の変化もうまれた、という事を示す資料ではないでしょうか。
いうまでもなく「じゃしき」も「だしき」もかつての飛騨方言であったにせよ、共に死語でしょう。やはり東京語はあなどれない。ではお生まれもお育ちも花の東京なれど不思議なご縁で今は高山のF先生、次回は例のじゃしき Zaxiqi、角正さんで、酒 Saqe でも飲みながら。
F先生が問うに、えっ、しゃけ Xaqe じゃないのかい。佐七こたわく、そうなんですよ、日葡では、さけ Saqe 、ですよ、ははは。
|