飛騨方言の動詞にどうも、しゃもる、というものが
あるようです。実は私は一度も聞いた事がありません。
がしかしネット検索しますと、複数の飛騨地方サイトからの
発信があるのです。筆者自身が知らぬ言葉であれ、飛騨方言に
間違いないと佐七が直感する理由です。
その意味は、おせっかいをする・しゃべる、等々の意味の
ようです。なあんだつまらない、しゃべるという動詞が少し訛ったのかい、
と思った方よ、さようなら。
なんでもかんでもペラペラと種明かしをするだけがよいのではありません。
当の複数サイトを実際に読んでみてください。
つまりは佐七の考え始めですが、
飛騨方言動詞・しゃもる、の原義は、やはり、
おせっかいをする、なのです。
つまりは、おせっかいをするということは
要らぬ事をしゃべる事に他なりませんので、
つまりは原義に、しゃもる=しゃべる、という
新規の意味が加わったのでしょう。
さてハーモニーを生ずる事をハモる、といい、
サボタージュをする事をサボる、といいますので、
やはり、しゃもる、という動詞も何か体言を動詞化した品詞で
あろうと皆様すぐにお気づきのはず。
思考の第二段階に突入です。
さあ、そして佐七節ですが、純粋の飛騨方言ですから何か
外国語の体言を動詞にしたのかしら、などという
(たあけたいな、だばえたいな、とうろくせえ)事を
考えてはいけません。因みにハモるは英語から、サボるは仏語
からですね。
しゃもる、は飛騨方言である以上、鎖国が敷かれた江戸時代に既に話されていたのでしょう。
欧米語の可能性はゼロに近い。
つまりは難解な言葉といえば漢語・仏典からの言葉などに
限られるはずです。華麗なる思考の第三段階に突入です。
そして、ここからは専門書の登場です。
ネット検索で得られる知識など知れていますもの。
小学館の日本方言辞典があります。おせっかいを意味する
全国各地の方言がおよそ百個ほど記載されています。
そしてやはり有りましたあ!!、飛騨では、おせっかい=しゃち。
つまりはこれってマジ江戸時代の飛騨方言やさ、二十一世紀の
誰も知らんっちゅうに。
また、全国の方言としては、しゃしゃ・しゃしゃく・しゃしゃこ・
しゃしゃま・しょしょま・しゃちこ・じゃちこ、等々、
とにかくおびただしい数の同類方言があるのです。
ここで筆者が直感したのは、仏教の説話に出てくる言葉が
全国の方言になったのであろう、という事です。
つまり方言は国語学ではありません。民俗学なんやさ。
当たり前のこっちゃけど。
そして続いてはネット検索です。約十分ほどひたすら
検索してみました。そして結論。邪知じゃち。
仏典にいくらも出てくる言葉のようです。
奸佞邪智(かんねいじゃち)という言葉があり、
意味は心がひねくれていて、狡賢い事の形容、
漢字検定一級の問題にでるそうな。
小学館方言辞典に戻りますが、鳥取方言の文例をひとつ、
おせっかいをやく=しゃしゃまやく。
飛騨方言では邪知という言葉がいかにして、しゃもる、
に変化したのか、あるいはこれは私の単なる空想かい??
結論ですが、わからない事はお坊様に聞くに限ります。
すぐにこたえなさるんやさなあ、これを。
やっぱあ、お坊様やさ。
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