大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

飛州志における飛騨方言

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時は江戸時代(1728年)です。幕府直轄領・天領飛騨の代官・長谷川忠崇は飛騨の歴史をまとめ、飛州志を著わしました。天下りなさったんかいな、飛騨の言葉が江戸とは異なる事にびっくりして以下の百八の飛騨方言語彙を後世に残したのです。

既に時は流れ、長谷川忠崇が標準とした江戸語も、また彼がびっくりした江戸時代の飛騨方言も、既に変化しており、両者共に現在は当時の形を留めていません。つまりは
飛州志は江戸語がいかに現在の東京語に変化したのか をも示唆する方言学史上の超一級資料
と考えざるを得ません。
江戸時代の
 飛騨方言  不肖佐七の江戸語の現代語訳
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やた     稲穂をこきおとした藁に残る籾
あらもと   炊く米のふきこぼれたもの
ゆるこ    ふるいにかけた米から出る粉
せいな    米のしいな
をやす    庄屋様
をんの    祖父
なぼう    祖母
だだ     母
ぼう     男児
びい     女児
だし     子供
ごりょう   少女
ごれん    嫁
まま     乳母
やら     我
をらら    我ら
あんじゅ   あの衆
威名衆    功を立て表彰された人
威名田    同上田畑を得て子孫に伝えたもの
かほう    家抱、一戸の家をも持たぬ小作人
すま     すみ隅の事
ちゃうだい  民家の納戸
かまち    民家の上坐
わかた    上のほう
うれ     上
あらと    山川村の始めの入り口
へえつぼ   穀物の収納庫
をち     大路、外地
えみぞ    溝
ぬのばし   材木を渡した橋
ぬのかわ   河中に石がなく静かな流れ
さらた    水をほして作る田
みずた    水を湛えて作る田
ぬまだ    深いどろの田
あわらだ   深いどろの田
あと     田の入水口ないし出水口
そめ     かかし
やきだて   野猪の皮を焼いて田畑の囲に置く
       害獣よけ
どうづき   (流水に)たよる
ししおとし  野猪を捕るわなの穴
をせ     野猪を捕るわなの穴
くまおとし  熊を捕るわなの穴
うとろ    木石とも中が真空虚なる事
すろ     凡中真の穴
いなばき   筵むしろ
そうげ    塩笥、しおげ、口の広い杯
つぶら    幼児をいれて養育する籠
ひらか    げた
いしなうす  いしうす
かち     搗、もちつき
ちゃまが   茶釜
えんど    印籠いんろう
どんびき   かえる
いぐいす   うぐいす
じょじょ   鰌どじょう
あっぽ    餅もち
ひりめし   昼飯
こしのせ   きこしめせ
をむじゃれ  食物をすすめる事
う      湯ゆ
ぶたぶた   水の流れる音
またじ    用意
がっと    大分だいぶ
たらふく   十分
だんさく   沢山
ふたん    沢山
へいと    一面に、平等に
りこう    凡て宜しき
でかい    おおきい
ぶんぶ    小児を背に負う事
あぶ     小児を肩に乗せる事
おい子    おねる、とも言い、背に負う事
ばかてつ   これかぎり、こればかり
ほぜ     木の枝、木のおれた物
くせ     この方へ越せ、の意味
てきない   くるしい
でこ     はなはだしき
をそがい   おそろしい
すかぬ    気味が悪い
ぼせ     押せ
ふんぎゃ−
  らかせ  踏み倒せ
きっくち−
  がへし  言葉返し
ぎゃめく   わめく
ぬまくたわら 泥沼
いまいましい もったいない
まいきさ   傍若無人
きゃった   きやった
そこなて   そこらあたり
えがむ    ゆがむ
しゅげる   しげる
さかよる   さかえる
ほける    ふける
とこしょ   とこしなへ
せんせほう  おりふし
きのうのばん 一昨晩
やど     家主
よりかへる  ふりかえる
よぼる    よぶ
あやほや   彼是かれこれ
ままやく   まちがえる
いちげん−
 振る舞い  一門で初めての結婚披露宴
てつとしょう 必ず実正
しよもん
 しょう   誓文
てう     まこと
雪おこし   雪の夜の地鳴り
てうはい   年初めの礼
はたうち
 (参りたり) 畑の耕作(に行ってきた)
わたむき
 (参りたり) まゆを綿にする仕事(に行ってきた)
めんたい   めでたし、意味のあいさつ

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