飛騨遺乗合府は安政年間に桐山力所が著わした書物で、
復刻版がいくつかあり、入手可能です。
飛騨方言 意味
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がてん 合点、承知
たもれ 与えよ
※賜れよかし、の意
をませる 進上する
こび 少女
※子+びい
こぼ 男児
※子+坊主
茶のこ 朝飯
※軽い食事、お茶とご飯程度
さいさい 毎度
※再々
をり 私
くもじ 菜漬
※元来は室町期女房言葉、
三々九度で酒を意味する
そうじゃ 左様
※そうである
えんばと 幸
※良いあんばいと、の訛りであろう
好都合にも
あいにく、折悪しく、運悪く
ごれん 御簾・みす
※村長の奥様
こいやらし いや
※接頭語・こ+いやらしい
いかず 行く
※いこうとする、いかむとす
をかず 止
※やめようとする、おかむとす
ぶたぶた 風呂
よも 猫
あばよ さらば
わいとら 我等
おかっさま 奥様、御内室
ださま 奥様、御内室
えんど 印籠
あぜち 別家、分家
※おじのうち、の転か
どっち どれ
たんぼ 田畠
そんなら 左様なら
※それなら、の撥音便
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※桐山力所ではなく筆者・大西佐七の注
飛騨遺乗合府・ひだいじょうごうふ
この表題が現代人には難解ですが、遺乗合府の言葉は、もとより桐山力所の造語の可能性があります。遺は遺産という語から判るように、後世に残す・送る、という意味ですね。乗は、解題・かいだい、にありますが、野史私乗・やししじょう、から取ったようです。私乗とはこれまた聞きなれない言葉ですが、私人が著わした歴史、という事。
合府の意味ですが、桐山力所は当時、飛騨の寺社仏閣の謂われについて書物として残されていたもの、つまり遺乗、をすべて書き記してひとつの体系として(=合)彼の史観による世界を築いた(=府)、というような意味らしいのです。
何とも早、手の込んだ題名です。つまりは江戸時代までの文化人って、はっきり言って漢文がお手の物、と言うか、漢文くらい出来なくては知識人とは言われぬ、と言う事でとにかく勉強なさったのでしょう。