泉鏡花の代表作・高野聖(こうやひじり)、新潮文庫、を読んでみました。
実はこの小説家については全く知らず、私もたいして読書家というわけでは
ありませんが、教養部の二年間は学部の専門科目が始まるまでのモラトリアムの
期間、せいぜい読書ぐらいはしておかねばと、新潮文庫を買っては読み、その数は
積み上げて一、ニメートルになったと思いますが、不思議と泉鏡花を読んだ記憶がないのです。
今回、わざわざ当サイトに読後感をお披露目しますのも理由はひとつ、
小説の舞台が飛騨天生(あもう)峠、そこに住む妖怪のお話という事で
いったい妖怪がどんな飛騨方言を語るのか興味津々であったから。
お忙しい読者のために、結論をお書きしましょう。
いや結論をいきなり暴露するというのは推理小説のまず結末をお伝えして、
それから粗筋をお話しするようなものですから、いいえ結構と
思われる方はいったん当サイトを去り、筆者と同じくまずは同
小説をお読みになってください。
という事でお忙しい方へ。実は飛騨方言は一切、でてきません。
これには、流石の佐七も度肝を抜かれました。妖怪はじめ、登場人物が
話す言葉が、これらすべて実は全国各地の方言を混ぜた文語調、
という事で筆者なりに注意深く飛騨方言部分がどの部分に
出てくるか、おそるおそる読んだのですが、これが飛騨の国が舞台の
小説かと思うと、つい思わず、全国各地の方言を混ぜた小説
を冗談にもよくも書けたものだなあ、と佐七は気味が悪くなるばかりです。
まんまとやられました。
若しもまさしく正確な飛騨方言で書かれていたとなれば、
この小説は私にとっては単なる飛騨の民話・フェイブルで終わっていたのでしょう。
実際には、この方言の言い回しは、とあれこれ考え読み続けるにつけ
筆者の心中はますますおだやかならず、ぐいぐいと泉鏡花の世界に
引きずり込まれ、思わず手に汗を握る読書でした。
つまりは鏡花の意図に翻弄され続けた私、やはり方言の勉強にめざめた私が
まさに今読むべき小説であったと悟り、貴重な読書の夜でした。
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