大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
「行くろ」「おいしいろ」 |
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私:ここは大人のための方言学の場所だが、君のような国語学の専門家じゃない方々への話し口が全国の不特定多数の方々には一番に判り易いかも知れない。 妻:言葉は慎重に選んだほうがいいわよ。あなたのどこが国語学の専門家なのよ。 私:しまった。そうか。言い間違えた。飛騨方言の話者と言い改めさせていただこう。僕は生まれも育ちも飛騨、飛騨方言のネイティブが非ネイティブにお話しする形が全国の不特定多数の方々には一番に判り易いのだろう。 妻:「行くろ」「おいしいろ」という飛騨方言って、実はただ単に「だ」が脱落しただけで「行くだろ(う)」「おいしいだろ(う)」という意味なんでしょうね。 私:「推量」の文末詞ってのだよね。ところが、大違い。第三人称に対しては「推量」、対称に対しては「確認」の意味になる。「あいつぁ行くろ」と言えば「あの人は行くでしょうね」だが、「わりゃ行くろ?」と言えば「貴方も必ず行きますよね。」という確認の意味。「千円もするチョコレートならおいしいろなぁ」は「おいしいのだろうな」という推量の意味で、相手に向かって「どや、この柿。おいしいろ。」と言えば「どうですか、この柿は。美味しいでしょう。美味しくないはずが無い。」という確認の意味。 妻:なるほどね。形容詞に「ろ」が付くと奇異な音韻にはなるけれど、でも「どうだい、この柿、おいしいだろ。」と同じ意味だから、やはりどう考えてみても、飛騨方言では単に「だ」が脱落しているだけじゃないのかしら。 私:そうお考えになるのはごもっともだ。ところで誰もが気軽に使っている言葉「だろう」だが、実はこの言葉は品詞分解できるんだ。 妻:さあ、別に知らなくても済む事よ。 私:その通りだが。然し知っていたほうが楽しくなる。「だろう」は指定の助動詞「だ」の未然形「だろ」に推量の助動詞特別活用(特活)「う」が付いたものなんだよ。さらに踏み込むと助動詞「だ」には接続の制約がある。体言、あるいは、用言の連体形+「の」、に接続するだけなんだ。「行くだろう」「おいしいだろう」は実は近世といってもいい新しい言い方で、元々は「行くのだろう」「おいしいのだろう」から「の」が脱落した言い方なんだ。体言に「の」は付ける必要が無いので「あれは富士だろう」は千年前から。言い換えれば用言を無理やり指定の助動詞「だ」に接続させるために「行く事なのだろう」「おいしい事なのだろう」と言っていて、それが現代に至り「行くだろ」「おいしいだろ」になる。 妻:おっしゃりたい事がよくわからないけど。 私:いやあ、ごめんね。要は「だろう」は体言に接続するだけ、という事を言いたかっただけ。ところが飛騨方言文末詞「ろ」は決して体言と形容動詞に接続できないんだ。「ろ」の接続則は、用言の終止形に接続、これだけだ。つまりは「行くろ自カ五(自動詞カ行五段)」「おいしいろ形ク」は有りだが「きれいろ」「富士山ろ」はアウト。 妻:「行くだろ」「おいしいだろ」「きれいだろ」「富士山だろ」、これらは全て合格だから不思議よね。つまりは「だろう」から単純に「だ」が脱落した言葉ではなかったのね。 私:その通り。「ろ」の語源は指定の助動詞「だ」の未然形「だろ」では有り得ない。 妻:ならば、何が「ろ」の語源なのかしら。 私:ひとつ考えられるのは推量の助動詞「らむ」だ。「行くろ」の語源の説明はこれでピタリと行く。ところが「らむ」は動詞に接続する助動詞。一部の助動詞終止形に接続するような文例があるようだが、知らなくていい知識だろう。助動詞「らむ」説では形容詞終止形+「ろ」の説明が出来ないんだよ。「美味しいろ」は「美味しい(感激を味わう)らむ」から来たのだろうね、というような強引な解釈はしたくない。ここは極めて素直に「おいしいろ」は「おいしいだろ」から単に「だ」が脱落したものと解釈すれば簡単だ。動詞終止形+「ろ」からの推量、誤れる回帰から来た形容詞終止形+「ろ」かも知れないしね。私なりの解釈は「美味しいであらむ」が語源。やはり形容詞も「らむ」が語源だね。いずれにせよ、飛騨方言ネイティブは普通に使っている。 妻:どうぞ、勝手にお使いくださいませ。 私:実はね、これでも議論は半分なんだ。古典の世界には華麗なる「ろ」の世界がある。どんな古語辞典にも記載がある。ひとつは上代の接尾語(辞)で名詞について親愛の情を表す言葉。もうひとつは上代の感動・訴えの間投助詞「ろ」。もっともこの助詞は連用形に接続なので語源としては怪しい。華麗なる万葉集の世界、東国方言の世界だ。あれこれ書いてきたが,たかが「ろ」されど「ろ」の飛騨方言表現という事をご理解いただきたい。 妻:飛騨では動詞+「ろ」は「らむ」なのね。形容詞+「ろ」は「だろう」、だけど、「だ」は元々は「であらむ」なのよね。形容詞も場合は形容詞終止形+「である」「らむ」から「である」が脱落してしまって形容詞終止形+「らむ」となり、形容詞+「ろ」になったのよね。 私:おいおい、どうしたんだい。とんでもなく冴えているじゃないか。その通りだと思うよ。 妻:ほほほ、あなたの誘導尋問に引っかかったふりをしただけよ。飛騨方言の得意な言い回し、動詞・形容詞終止形+「ろ」の語源は推量の助動詞「らむ」。今日の結論。 私:一言、加えるとすれば体言の場合は「である」が省略不可が「である」は「じゃ」「や」に変化し「じゃろ」「やろ」が用いられる。 妻:つまりは形容動詞語幹は体言につき、形動+「ろ」は不可。形動+「じゃろ」あるいは形動+「やろ」が正解という事ね。 私:動詞も連用形でたちまちに体言になるから、ちょっとした事で飛騨方言ネイティブでない事はばれてしまうね。 妻:でも、飛騨方言ネイティブを装う人なんていらっしゃらないでしょ。 私:ああ、いらっしゃるわけないね。 妻:そしてあなたがフト思う事。 私:そう、いつも「ろ」が口癖の初恋のあの人。 妻:同窓会もコロナで延期になって元カノにお会いできなくて残念だったわね。だから思い切って年賀葉書をお出しなさいよ。きっとお喜びになるろ(なるらむ)。きっとうれしいろ(であらむ)。 |
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