大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
〜やに・〜やにか |
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私:毎日、何時間も調べものをして書いていると何れ息切れするだろう。時間をかけても力作が出来るとは限らないしね。今夜の話題はお手軽だ。さきほど数十秒ほどネットサーフィンして決定した。 君:これは簡単と言えば簡単ね。方言の東西対立では、飛騨は西側に属し指定の助動詞「じゃ」だけど、最近は老人でも「や」を話す事がほとんど。文末詞「やに」は念押しの意味の「じゃない」、そして文末詞「やにか」は矢張り確認・念押しの意味で「じゃないか」の意味で用いるわね。 私:私は昭和28年生まれ、戦後派だが、「やに」「やにか」は今も昔も使わないね。今も昔も使うのは「やない」「やないか」、つまりは表題の言い回しは平成・令和の飛騨の若者言葉という事でいいと思う。 君:二重母音の短母音化ね。わがいも我妹が、わぎも、従って古代からの日本語の音韻其のものよ。 私:モーラがひとつ減るけれど文末に空拍が出現し、日本語の最小語条件、つまりは文節構造は偶数拍が基本もというのは守られているね。逆に三拍の二重母音の文末詞こそ、短母音化しやすい。「(なるほど)そうなんかいな(そうなのですか)」と言っていた飛騨方言も最近は「そうなんけな」が主流になりつつあると思う。 君:あなた、指定の助動詞「じゃ」を終止形と勘違いしていない?連用形よ。 私:ああ、そうか「じゃ」の語源は「であり」だから「やに」は「ではない」の意味だし、「やにか」は「ではないか」の意味という事だね。つまりは飛騨方言「や」は助動詞「だ」の連用形「で」だ。深堀すれば、「やに」は「であらず」という言葉から更に「あら」が省略された言葉なんだ。つまりは「やに」は「でない」の意味。そして「に」つまり「ない」は形容詞そのもの。でも形容詞「ない」単独が「に」に音韻変化する事は無い訳だ。左七は文法が好き「やに(でない)」は反語の表現とも考えられるね。「好きやに」は「好きでない(などと言う事があろうか、実は大好きである)」の意味になる。それに「好きや」は形容動詞だ。つまりは「すきやに」は形容動詞「好きだ」の連用形+形容詞「ない」の二重母音の短母音化に、言外の意味として反語「などと言う事があろうか、実は逆である」という意味が含まれているんだ。そして形容詞「ない」の二重母音の短母音化は単独では用いられない。君の言葉には「トゲが無い」とは言うが「トゲがに」は日本語として成立しない。 君:そやお。 私:なるほど、そうきたか。それも飛騨の若者言葉、平成・令和あたりの言葉だね。意味は「そうだわよ」。つまり女言葉。 君:そやに。 私:なるほど、そうきたか。意味は「そうなのよ」の確認表現。 君:そやにか。 私:なるほど、そうきたか。意味は「そうに決まっているわよね」の念押し表現。 君:このくらいの討論なら古語辞典も方言辞典も何もいらないわね。ほほほ 私:そやに。そやにか。 君:おバカさんやに。ほほほ まとめ 私の主張は実に簡単です。飛騨方言「やに(か)」は共通語「じゃないか」の意味であり、用法も同じですが、「で(あら)ない事か」という、日本語文法としてはナンセンスの言葉を介在して出来たようですね。要は、自ラ五(自動詞ラ行五段)「ある」の反対語が形ク「ない」である事から来ている日本語のパラドックスが原因でしょう。ぶっ |
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