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飛騨牛の定義・名牛安福号物語

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飛騨牛の定義については、当サイトのこのコナーに別稿で お書きしています。 筆者が故郷を離れたのが昭和四十七年の事、それから後の 飛騨牛文化ですから、知らない事だらけです。 という事で岐阜県畜産会編の、神様になった飛騨牛・名牛安福号物語、 をネットで買い求めました。 安福に焦点をあてて、飛騨牛の歴史が全て書かれています。

飛騨牛という言葉が定義された経過についても詳しく書かれています。 実はそれまでは県下の和牛はすべて岐阜牛と呼ばれていたのでした。 年余に亘る数十回の関係諸団体の会合が行われ、昭和六十三年一月二十三日に 岐阜市宇佐南の岐阜県農協会館で関係十一団体が結成したその名も、飛騨牛銘柄推進協議会、 で正式に決定されたのでした。

飛騨牛は名牛安福から始まったのですが、場所は清見村牧ケ洞の岐阜県種畜場です。 VIP扱いで万全の管理の元で飼育される事になりますが、 数多くの子孫を残し、名だたる賞を総なめ、日本一の牛肉の芸術・飛騨牛、 とまで言われる神話の牛となったのです。あとは読んでのお楽しみ。

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