一位一刀彫と書けばこれはもう、いちいいっとうぼり○●○○●●●、と発音するしかありません。
当サイトもいよいよ飛騨のブランドマントラの王者の登場です。何故王様なのかは後述します。
昨今の新聞紙上で地域ブランドの事が記事になり、我も我もと名乗りをあげておみえですが、
一位一刀彫はそのような時代の波、トレンドは関係ありません。
と言う事で一位一刀彫は昔から有名すぎる飛騨独自の工芸品です。
勿論、えっ知らなかったわ、と卑下なさる必要はありません。
私・佐七は正直申し上げますと美術工芸愛好家ではありませんし、
飛騨以外、要は他県、にどのような工芸ブランドがあるのかよくは知らないんですよ。
それでも是非に私・佐七からのお願いですが、あなたが若し飛騨を旅行なさったら観光みやげ物店によって、そして一位一刀彫をひとつ
お買い求めください。それは必ずやあなたの家宝になります。
さてどんな工芸品かといいますとこれはもう
岐阜県庁公式サイトなどからの一位一刀彫のご紹介記事
をご一読いただくしかありません。
なにせ県庁公式サイトです、気合の入り方が違います。
そしてお読みになった方に更に佐七のご説明ですが、とにかくイチイの木の一つの木の塊を
コツコツと実に細かくコンコンと切り刻むわけですね。
最後の一振りでその部分がポロッと欠けてしまったら瞬間にアウトです、
作品ではなくなります。
たった一個の木の塊から現れ出ずる造形の妙、これを芸術と言わずして何を芸術というのでしょう。
またジャンルが豊富なんですね。
やはり私が好きなのは夫婦円満・御代長久の象徴の縁起物・高砂です。
ご夫婦で飛騨を旅行される方にはこれをお勧めします。
そして"イチイ"の木の特徴ですが、お買いになった一位一刀彫がたとえ白っぽくても
五年、十年、二十年、と経るに従ってとにかく次第に茶色く、ついには黒っぽく
変わっていくのです。
ですからせっかく買ったお土産品です、毎年それといっしょに記念写真を
撮ってください。亀の甲より年の功、という事を一位一刀彫は教えてくれるはずです。
長いくどい記事ですと最後までお読みいただけない可能性がありますので、
何故ブランドマントラの王者なのかという説明を一言、加筆しましょう。
実はイチイの語源は、天平17年(740年)に飛騨から天皇へこの木で作った
笏(しゃく)を献上しましたところ、
ほかの材より優れているということで位階の正一位にちなんで、この名を賜ったと伝えられています。今でも天皇御即位の都度、イチイの笏が献上されています。
噛み砕いてお書きしますと、天平17年に聖武天皇が平城京をお開きになり、つまりは東大寺が開闢(かいびゃく)した時に
天皇がお持ちになったのがなんと高山市一ノ宮町、旧大野郡一宮村、の位山(くらいやま)
からのイチイの木によるものであったというわけです。
以来、歴代の天皇の笏(しゃく)はすべて、平成天皇の御世に至るまで、
高山市一ノ宮町の位山のイチイの木が献上されて作られたという
まさに王者の銘木・高山市一ノ宮町の位山のイチイの木なのです。
と言う事で佐七からのお願いですが、若しテレビ等で平成天皇が笏(しゃく)を
お持ちのお姿が目に止まったら高山市一ノ宮町の位山(くらいやま)を
思い浮かべてくださいませ。
さて宮内庁ホームページをご覧になるとよろしいのですが、ただし同サイトは情報が膨大です。あるいや若しや
同サイト内に公開されております笏をお持ちの平成天皇お写真を
探索できなかった方のために
敢えてお示しますが即位の礼のお写真の項目です。
天皇が右手にお持ちのものが高山市一ノ宮町の位山の
イチイで作られた一位一刀彫の笏です。
賢明な読者の方はもうお分かりですね。
あなたが若し、高山にご旅行になり一位一刀彫を
お求めになっても笏(しゃく)は売られておりませんし、
またあなたが若し、お金はだすから特注で笏(しゃく)を作ってくれ、といっても
首を縦に振る工芸店は一軒も無いはずです。
勿論、非売品として展示( Sorry, not for sale. )もされていません。
世の中に宮内庁御用達と名の付く物は幾つかあるのですが、
飛騨のイチイの笏(しゃく)はそれらすら引き離す別格の神聖なものと言う事です。
また書くまでもないことですが、
聖武天皇以後の歴代の天皇の笏すべてと、そして
あなたが土産で追い求めになる佐七のお勧めの高砂も、
共に飛騨に自生するイチイの木を彫った一位一刀彫、つまりは日本を代表する彫り物、
である事には変わりありません。
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