大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

飛騨方言の敬語の伝承に関する一考察

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飛騨方言の敬語のひとつに、〜みえる、という 言い方があります。例えば、書いていらっしゃる、 というべき所を、書いてみえる、というのです。 書いているようにみえる、という意味ではありません。 実は名古屋を中心として広く東海方言の特徴であり、 果たしてこれは方言であるのか、と言う事も問題では ありましょう。

生まれも育ちも名古屋で今まで一歩も外へ出ていない 糟糠の妻は名古屋方言の生き字引です。 つい最近ですが、〜みえる、は実は 名古屋方言であると言う事を教えたら、家内はビックリ 仰天しておりました。 地域の人々にとっては当たり前すぎる言葉というものは 方言である事に気付きにくいものです。

さてやっと本題ですが、筆者はもとより方言の研究者でも なんでもなく、単なるアマチュアです。できる事といえば 母語の内省と身近な人々のケーススタディのみ。 家内以外のケーススタディをお示ししましょう。 その身近な方とは、仕事仲間である五十才前後の 女性です。生まれも育ちも三宮、大阪方言とも神戸方言とも 知れぬ言葉を母語として獲得なさっていたのでしょうね。 高校時代に愛知県半田市に引越しなさいました。 以後、名古屋に勤め、多治見に住み、現在は可児市在住、 つまりは東海地方から一歩も出ていらっしゃいません。 彼女も、〜みえる、を方言とは認識せずに私にお話しに なるのです。

さて母語の獲得は一才前後であり、 乳幼児期には完成してしまいます。 がしかし、その地域の敬語を獲得するのはもっと おおきくなってからであり、上記のインフォーマント の場合ですが、故郷を離れ高校生あたりから数十年も 東海地方に住んでいると、〜みえる、という敬語が 板についてしまうという事のようです。

実は筆者もおそらくつい昨年あたりまでは、極ふつうに この敬語を方言と意識せず使用していたのでしょう。 がしかし、最近の私は意識して、〜みえる、を 使わないようにしています。 この方言の言い回しが嫌いになってしまったからでは ありません。 私にとっては一種の思考実験、五十を過ぎた人間でも 国語の矯正が自らの力でできるのかしら、とフト思った ものですから。

結論ですが、飛騨方言が伝承されてきたのは乳児が大人の 言葉を覚えたからですね。 また、〜みえる、の敬語法が伝承されてきたのは 飛騨の大人が飛騨の大人に教え続けてきたからであり、 子供は関係ないのでしょう。

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