2006/10/27
岩波文庫、リクエスト復刊。足軽、草履取りなど
いわゆる雑兵の巧妙談を基にした戦陣訓。全編が
生き生きとした坂東方言で記載されており、
関東方言の歴史理解のヒントが埋もれているという訳です。
著者ははっきりせず、複数説があります。また記された年代も
江戸時代初期のようですが諸説あり、関が原の戦いや天草の乱に
出陣した人々の戦陣訓が主です。これがすべて方言丸出しの記載、
つまり口語体なのです。従って描写が生々しいというわけですが、
佐七はもとより書評を書けるほどの器でなし、ただひとつ気づいた事を
記載しましょう。
関東の武士の口語だから促音便一本であろうと思いきや、さにあらず。
ウ音便あり撥音便あり、うーむ京言葉ですかあ、などと思ってしまう
表現もあるのです。つまりは江戸時代初期といえば、
関東武士ですら一部、関西方言のような言い回しもしていたという事ですね。
関東庶民は関東武士以上に関西方言らしく、ウ音便と撥音便を
使っていたという事ではないでしょうか。
江戸時代といっても三世紀の長きにわたる時代ですから、
つまりは方言の東西対立といっても当初はあまり際立った
ものではなく次第に発展していったものなのかしら、
とこの本を読んでフト思ったのでした。
さて中間・小物、という身分の者の記載した文章も勿論ありました。
中間・小物、といえば広辞苑に、飛騨方言・てきない、は
彼らが使う言葉で、との記載がありますが、実は雑兵物語には、
てきない、が一回も出てきません。
従ってこの書を読む限りは広辞苑の記載は不適切ではと思われます。
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