私は毎日、暇を見つけてはせっせと当サイト記事を書いてはいますが、
問題は、私がなぜ飛騨方言を話さないのか、という事です。
例えば家族の会話でも私は実は飛騨方言を口にしません。
田舎の言葉を卑下しているわけでもなく、
共通語を飛騨方言に変換して話すのもつい面倒という事なのでしょうか。
いや実の所は、やはり私が心の奥底で無意識に思ってしまう事は、飛騨という地域の
人口があまりにも少なく、飛騨方言はブランドではないから、という事ではないでしょうか。
そりゃあねえ、全国の皆様、ブランドなら喜んで話しますよ。
多くの大阪人が実に気持ちよく関西方言を話しておみえですが、関西方言はブランドなのですね。
京都出身の友人がいます。彼は堂々と京言葉を話します。ブランドだからでしょう。
家内は名古屋の人間です。私に話すことばが時々名古屋方言です。
名古屋は日本の三大都市、彼女にとっては名古屋方言は大都会の言葉・ブランドというわけです。
また三重県の知り合いがいるのですが、三重方言です。
ぶっきらぼうな議論で申し訳ないのですが、私には彼の三重方言が関西方言流に聞こえます。
三重県は一山越えれば京都・奈良、つまり三重県人が三重方言を臆面なく話されるのは
関西系ブランドだからという事でしょうか。
さて飛騨全体、三市一郡を合わせて人口は十五万そこそこでしょうか、
小生がかつて住んだ名古屋市名東区人口にはるかに及びません。
人口で見る限り飛騨方言のブランド性などあろうはずもありません。ところが
飛騨方言は京阪式アクセントとは完全に異なる、純東京式アクセントです。
つまりは飛騨方言は東京系ブランドという事じゃないですか。
だから私は共通語を選んでいるのですね、なるほど。
私が飛騨方言を話さない最大の理由は飛騨を離れているからで
周りに言葉をあわしておいたほうが都合がいいからなのでしょうが、
そして飛騨方言は東京ブランド、
でもそんな事をしていると飛騨方言をいずれ忘れてしまうという事なのでしょうね。
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