大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

教養が強要・私が飛騨方言を話さない理由

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あるいは教養が邪魔するから、と書いてもいけなくはないのでしょうか。 でもいくらなんでもそんな書き方はねえ、逆に無教養といわれてもしかたありません。 教養が強要とは実は以下のような意味です。

私も仕事柄と申しますか沢山の方と話をしますが、すべて共通語です。 敬語・謙譲語など丁寧語で話す事が大半でしょう。 ところが例えば下二段動詞の命令形ですが共通語では、食べろ。 これが飛騨方言では、食べれ。 若し例えば、食べれ、と私が一たび話した瞬間に相手の方は私の事を
ムムッ佐七さんは今少しばかりどこかの地方の方言をお話しになった。 彼は実は田舎のご出身だったのか。 そして彼は正しい日本語をご存知ない。 国語の勉強をきちんと積んで見えない。 意識して話した訳でもない。 彼はまさかご自身の言葉が方言である事すら気づいていないのかい。
と思ったのか、と私は心穏やかでなくなるのです。 恥をかいているのかという事ではなく、相手に要らぬ考えを起こさせたのかと 心配になってしまうというわけです。

何せ命令形です、とっさに出る言葉なのでなかなか直しづらい、 そこを長年に渡って意識して直してきました。 諦めてはいけません。これは直せないと開き直っては尚の事いけません。 継続は力也、教養が強要してくれたおかげで 言葉の癖を克服できたのです。

実は話は半ばです。と言っても The last, but not the least.  同郷の人とお話しする場合は逆に、 食べれ、といわないとこれも無教養になるんですね、ははは。

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