皆さんに馬鹿にされるだけの事ですがあえてお書きしましょう。
実は昨日書いた記事を読み返し、自分なりにフームよく書けているなあ、と
自画自賛する事はあるのですが、
飛騨方言を知らない方がそれをお読みになって
どれだけ感激してくださるでしょう。
確かに飛騨方言の語源の追求は私自身は面白い、私自身は痛快です。
飛騨方言文法の解析も私自身はなるほどのめりこみます。
それは自分自身の言語中枢を自分自身が理解できたという事であり、
言わば当たり前の事、ただ単にそうっとひとり悦に入っていればよい
のかも知れませんね。
例えば私自身が飛騨方言以外の方言サイトを読むことがありますが、
私とて飛騨方言との共通の言葉以外に興味が持てません。
つまりは飛騨人以外が飛騨方言に興味が無いのは当たり前で、
当サイトの記事はいったいどなたが興味を持たれるのでしょう。
生まれも育ちも違う私自身の家族すら私の記事は
何の興味も持っていないようです。
私自身が仕事でお付き合いの方にそれとなく飛騨方言の話をしても、
また更に当サイトのご紹介をしても実はあまり反応無し、
お義理の評価が返ってくるだけです。
あるいは寧ろ逆効果かも、、
飛騨以外の人に飛騨方言の込み入った話をするほど感心させるどころか、
変わった人間だな、あるいは、またいつもの佐七節が始まった、
と思われるだけなのではと最近は考えるようになっています。
つまりは寡黙にならざるを得ません。
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