最近のニュースですが先の戦争でシベリアで行方不明になられた方が
実はご無事であり、実に六十年ぶりに帰国され、
兄弟と涙の対面をされました。
その方は十八才で旧ソ連という異国の地で日本語と決別せざるを得なかったのです。
日本を離れて半世紀以上経てかなり日本語を忘れて見えて
氏は日本語を話しづらかったそうです。
氏にとっては既に母国語はロシア語になっていたという事でしょうか。
佐七は瞬時に、サイパン島の孤高の人横井庄一氏との差を感じました。
横井さんは日本語を忘れまいとひたすら独白し続けておみえだったのではないでしょうか。
同じ事が私にもいえます。十八の時に故郷を離れています。三十何年か経ちました。
日常で飛騨方言が必要な機会はほとんど無いと言えましょう。
それでもまさか私は飛騨方言をいまだに忘れてはいないと思うのですが。
十八まで話していた言葉を人間はやすやすと忘れられるのでしょうか。
答えはハイです。某氏の体験がそれを物語っています。
私事で恐縮ですが、米国に住んでいた事がありました。既に二十年前になります。
職場に日本人は私しかいませんでした。
ボス及び同僚が全て WASP であった事は私にとっては幸いでした。
誰も彼もが私の英語の癖を親身になって直してくれたのです。
私は水を得た魚のように夢中になって英語を学びました。
とうとうある日、家内が私に告げました、私が昨晩に寝言で
英語を話したと。帰国間際には咄嗟にでてくる言葉が英語というレベルには
達していたと思います。がしかし帰国してみるみる語学能力は落ちてしまいました。
今は英語を不自由なく話す事は困難になってしまいました。
さて、私が飛騨方言を話さない大きな理由は飛騨を離れているからで
周りに飛騨方言を話す人がいないから。
私もいずれ飛騨方言を忘れてしまうという事なのでしょうね。
そして自分自身が当サイト記事を読んで、ふーんそうかあ、
と思う日が来るのかも知れません。
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