中部地方の方言は皆、その経済文化の中心・名古屋の言い回しの影響を受けています。考えるまでもなく当たり前の事ですが、例えば、〜してみえる、という尊敬表現などが良い例でしょう。
名古屋人は、〜していらっしゃる、とは言いません。勿論、おみえです・おみえになる、も使いません。おみえです、の代わりに、きてみえます、と言うのです。来ていらっしゃいます、も用いません。甚だしいのが、見る、の尊敬表現です。これが名古屋方言では、見てみえる・見てみえます、になるのです。
ただ今、見てみえる、をキーワードにグーグルでネット検索した所、二千件弱でした。見ていらっしゃる、では二百万件でした。見て見える、という言い回しが、中部地方以外の人々には奇異な言い回しに聞こえるという事がこれでお分かりでしょう。
実は飛騨方言においても、〜してみえる、という尊敬表現を用いる点は名古屋方言と全く同じです。学校教育の場でも教職の方々も飛騨の出身、普通に、〜してみえる、をお使いです。そのようにして育った佐七は高校を卒業して名古屋に出ました。名古屋では誰もが、〜してみえる、を使います。恩師も使い、大都会名古屋の人々も使う尊敬表現なので、これが中部の方言である事に気づく事は至難の技です。
思うに飛騨の人々が自由に全国に行けるようになったのは昭和九年の高山線の全通のおかげでしょう。筆者の大胆な推理では、この言い回しは高山線の終着駅・名古屋駅からはるばると飛騨にお見えの言葉にみえる。 |