大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
おそがい(=恐ろしい) |
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私:何はさておき、国研の言語地図、つまりは形ク「恐ろしい」の全国分布・資料42をどうぞ。 君:なるほど、「おそがい」は見事なまでに愛知県全域と岐阜県全域が限定の方言なのよね。 私:その通り。「おそがい」がギア方言(尾張方言、三河方言、美濃方言、飛騨方言)である事に気づいたのは実は昨日だ。家内が生まれも育ちも名古屋で良く知っている言葉で、家内は親戚が名古屋に集中している。私も大学の友人と言えば東海・旭丘だが、彼ら知識層でも「どえりゃーおそぎゃー」と言う。それまでは、飛騨の俚言で無い事は確かだが、くらいにしか思っていなかった。佐渡に「おそがい」があるのは、これこそ本当に偶然の一致という事だろうね。ギア方言である「おそがい」については少しばかり慎重に調査する必要があると思うが、おそらく名古屋が発信元、おそらく近世語、尾張方言が三河、美濃と飛騨の方言に影響を及ぼした結果と考えたい。「おすがい」は飛騨が中心の分布のようだ。飛騨においてのみ「おそがい」から「おすがい」への音韻変化があったと考えたいね。 君:そもそもが根本的な命題、どうしてギア方言などというものが存在するのかしら。 私:ギア方言とは東条操の方言区画論から出てきた言葉。提唱したのは彼の弟子、岐阜県萩原町出身の、つまり唯一の飛騨出身の方言学者・故富山大学教授都竹通年雄先生の命名だ。例えば京言葉と難波方言には強烈な類似性があり、近畿方言という。これと同じく愛知県と岐阜県は同一の経済圏で濃尾平野で地続きだから方言も似て当たり前、名古屋が文化の中心で岐阜市は言わば衛星都市。幾つかの文法的類似性と、今回、問題にする共通の方言語彙。私は生まれも育ちも高山、家内は生まれも育ちも名古屋という事で、私共夫婦はギア方言を共通語と勘違いして話している事が多い。ギア方言に関して「岐阜は名古屋の属国」というタブー語がある。 君:岐阜の言葉が名古屋に伝搬する事はなさそうね。 私:皆無ではないだろうか。 君:尾張で形ク「おずし強」が音韻変化して「おそがい」の言葉が出来たようね。形ク「おぞい(悪い、よくない)」はどうかしら。 私:「おぞい」もギア方言だが、これは実は全国共通方言といってもいいだろう。全国各地の方言になっている。 君:「おそがる」はどうかしら。 私:そもそもが「おそがる」は小学館日本方言大辞典に記載が無いんだ。同辞典にあるのは「おぞがる」。 君:「おぞがる」はどの地方の言葉? 私:島根、大分、宮城、鹿児島だ。つまりは全国だ。思うに尾張方言に自ラ四「おそがる」があったものの、あっという間に死語になり、形ク「おそがい」に変化したという事かな。つまりは上古・中世には、そもそもが飛騨方言には自ラ四「おそがる」がなく、尾張から飛騨へ形ク「おそがし」が輸入されたような気がするけどね。 君:でもプリーツ出版「ひだのしゃべりことば」には自ラ五(自動詞ラ行五段)「おそがる」の記載があるのでしょ。 私:そうなんだよ。となると飛騨に「おそがる」があって「おそがい」が生まれ、これが名古屋に伝搬した可能性が出てくる。 君:でも、それは常識的にはありそうなお話ではないという事ね。 私:そういう事。手元に資料があまりにも少ない。少ない資料からは必ず間違った結論が導き出される。語誌が決め手になると思うのだけれど、手元の飛騨方言資料には幻の自ラ四「おすがる」のデータは皆無に近い。現在のところ唯一の資料がプリーツ出版「ひだのしゃべりことば」、つまりは現代語。 君:冒頭の国研の言語地図は本当に鮮やかだわね。それに、ほほほ、「おそろしい」という意味の形容詞は例の分布パターンだわよ。 私:ふふふ、その通り。戦国時代の群雄割拠図と同じと言えなくもないね。尾張の影響は北は飛騨まで、西は木曽三川を超える事はなく、東は浜松を超える事もない。でもいつの時代からこのような勢力図だったのかは不明という事か。近世はひとつの可能性だが、上古・中世の可能性もあるのかもしれない。 君:ギア方言というよりは「だもんで信長」方言かしら。 私:いや、そこは違う。京言葉と難波方言も同じでない部分もあると同じ理屈で、岐阜は「や(じゃ)もんで道三」なんだよ。岐阜県に「だじゃの松」という有名な松の木がある。 君:要は「だ・じゃ」はギア方言が成り立たないのね。 私:ギアと言えば「みえる尊敬表現」「おぞい・おそがい」が代表選手という事かな。 君:飛騨では「こわい」も使うわね。名古屋は使わないようね。 私:うん、東京語「おっかない」も岐阜でも名古屋でも(絶対に)使わない。「かわいい(かわいそう、飛騨)」は名古屋では通じない。 君:飛騨では「おぞがい」とは言わないけれど、名古屋は? 私:必ず「おそがい」だね。 君:となると形シク「おそろし恐」が語源の可能性は無いかしら。「おそろしがる」から「おそがる」を経て「おそがい」の誕生。 私:その点は本当に気になるね。音韻変化は上代「おずし」から中古「おぞし」で、意味も「気が強い・強情だ」から徐々に「おそろしい・こわい」の意味になった。濁音が果たして本当に清音になったのか、怪しいと言えば怪しい話だ。形シク「おそろし」も竹取以来の古い形容詞だが、意味の変遷はある。竹取では、相手に恐怖や畏敬の念を起こさせるような威厳や威力を属性として持つさま、の意味。つまりは神秘的かつ良い意味。これがやがて、恐ろしい、の意味になるが、近世語では再び、恐れ入る・感服する、という意味でも用いられるようになった。ただし「おそろし」の恐ろしい点はたったひとつ、つまりは一千年以上、音韻が変化していないからね。これが、わざわざ「おそがい」になるというのも突拍子もない気がするんだけどな。それに仮に「おそろしい」が「おそがい」の語源だとすると全国に自ラ五「おずがる」が存在する事実が説明できなくなる。 君:何れにせよ「おずし・おそろし」どちらが語源か定かではないけれど、「おそがい」は岐阜県民と愛知県民にしか通じないという、おそがい形容詞なのね。ほほほ |
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