大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
あいまち(=過ち、怪我) |
戻る |
私:過失・間違いというような意味で「あやまち過」の事を飛騨方言で「あいまち」と言う事を思い出した。小学館方言大辞典をみて、おいおい、実は記載が無かったんだよ。土田吉左衛門「飛騨のことば」には記載があった。 君:語源というには、ほんのチョッピリ訛っているだけのお話じゃないかしら。 私:うん。角川古語大辞典には他タ四「あやまつ過・誤」については様々な記載がある。飛騨方言では主に「失敗する・怪我をする」この二つの意味で用いられるね。歌の文句じゃないけれど「男女間に不義の関係が結ばれる事」つまりは恋の過ちなどの意味でも用いられるだろう。万葉集はじめ平安文学によく出てくる「あやまち・あやまつ」だから、結構、上古の意味が飛騨方言に残っているのじゃないだろうか。 君:現代語としては専ら過失・間違い・不祥事の意味だわね。 私:うん。「怪我」の意味では用いないと思う。亡き祖母が「こりゃ左七、元気に遊んでもええが、あいまちせんように、ためらうんじゃぞ(=行動は慎重に)」などと言ってくれた事を思い出す。 君:なるほど。「怪我をしないように」という事ね。 私:そう。でもこうなってくると体言以外の用法、つまりは連用形以外の用法は無い。飛騨方言に名詞「あいまち」は存在するが、動詞「あいまつ」は存在しない。 君:ほほほ、その場合は「あやまつ」で活用する、という意味ね。 私:その通り。「あやまってぶつかってまって、あいまちをした佐七」とかね 君:でもその場合は自ラ四「あやまる」とどのように区別されるわけ?「あやまりて」も「あやまちて」も同じという訳にはいかないわよ。共に連用形促音便で「あやまって」とは言え、自他対動詞なのだし。 私:大雑把に言うと「あやまつ」が上古、つまりは万葉と平安文学、そして「あやまる」が平安から近世文学という事で、「あやまつ」から「あやまる」への歴史的な流れがあったのじゃないかな。現代語じゃ専ら「あやまり」でしょ。例えば、「質問・以下の文章から誤りを三か所、抜き書きしなさい」 君:確かにね。 私:それ以上に言葉の意味の変化という問題がある。「あやまる」も記紀にあるが、「正常、正気でなくなる」のような意味、要はサイコパスのような意味だった。単純間違い、つまりはエラー、の意味では平安文学から、その他、各種の意味が現れた。甚だしくは室町時代からは「誤りを正す」という意味で「あやまる」というようになったが、同音異義語を嫌って「誤りを正す」の意味の場合は「あやまる謝」と記述さるようになった。その点、「あやまち」の場合は時代と共に意味変化が生じた形跡は無いので、「あやまち」は意外と頑固一徹な言葉で、「あやまる・あやまり」は変幻自在な言葉だろうね。恋の過ち、この意味は平安文学も、Jポップの歌詞も、意味が同じだしね。ぶっ 君:蛇足ながら「あやまる」が「あいまる」に音韻変化はしないのよね。 私:それはとてもいい質問だ。「あやまる」の方言量は1、つまり全国的に同一、つまりは「あやまる」の方言は存在しない。その一方、「あやまち」は飛騨方言では「あいまち」になったが、全国的にみると、やーまち、やまち、やまつ、やまず、あまえじ、あめんじ、あやまい、以上の音韻の方言になった。地方名は割愛する。ゴメンネ 君:ほほほ、当然の結果だわよ。 私:そう、当然。「あやまち」が古く(上古)、「あやまり」は新しい(近世)と考えれば納得。 君:誤っていませんか?「あやまり」は上古と近世では意味が異なるのよ。 私:おっと、そうだったな。謝ります。 君:そうこなくちゃね。あなたと話していると長生きできるわよ。ほほほ |
ページ先頭に戻る |