大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

あねる(=こねる)

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私:昨晩までアルタイ諸語について少しばかりお遊び気分で書いてしまったが、今夜は一転、正統派の飛騨方言コラムでいこう。
君:自ラ下一「こねる」は古語では自ナ下二「こぬ捏」だわよね。
私:そう。今、語誌を調べたが中世語らしいね。上古の文献が無い。「こねる」が「あねる」に、一文字の違いだが、これって飛騨の俚言だぜ。
君:あら、そうなの。方言辞典でお調べになったのね。
私:そう。飛騨以外の文献が出てこない。当然ながら、この動詞の派生語も飛騨以外で用いられる事は無い。郷土の大切な言葉という事にはなるが、既に死語だろうか。
君:現代人は使わないわね。古老の方達とか。
私:でも、商品名の中に何気なく生きているよ。米粉とよもぎを練り混ぜた生地で小豆の餡を包んだ、下呂市萩原地区の伝統菓子あねかえし・捏返

君:萩原のお菓子ね。うーん、やられたわ。
私:いや、これは久々野でも作るんだ。でも今は初夏につき、時期的には少し遅いかな。初夏は何と言っても朴葉(ほおば)寿司だよね。
君:そうね。ところであねかえしは好き?つまり左七君はアンコ派?飛騨の男性は辛党が多いのじゃないかしら。
私:左七はね、あねかえしが好きなんてもんじゃない。僕は農家の長男だったので、祖母に大切に育てられた。祖母が端午の節句に作ってくれたのは柏餅ではなく、あねかえし。左七のソウル和菓子といってもいいね。祖母の思い出とは切っても切れないお菓子だ。腹一杯食べさせてもらったよ。
君:ほほほ、のびたさんみたいね。
私:ああ。もう一度逢いたい。グスン
君:歳を重ねると涙もろくなるのね。
私:前頭葉の理性が失われていく感じだね。折角だから動詞を深堀りしよう。中世語「こぬ」が自ナ下二だが、その活用は近世語あたりで自ラ下一「こねる」に転成している。「こねる」の文献は近松浄瑠璃・大経師昔暦1715(作品集)・中之巻・新編全集(底本)1653。底本とは古典の異本を校合(きょうごう)する際などに、基準として採用する本。「こねる」が近松の造語らしい事はわかったが、彼の真意がわかるかい?
君:真意は誰にもわからないもの。つまりは質問が愚問という事なのよ。
私:しまった。やられた。実は日葡辞書に「こぬる conuru」がある。何の事は無い、つ・ぬ・たり・り。
君:でも「り」は四段が已然形、サ変が未然形よ。
私:うん。その辺が文法の乱れで「こぬる」、さらに近松がひとひねりして「こねる」の言葉を使いだしたという事のようだ。親父ギャグ。
君:それを言うなら、ひねりにひねって、という事でしょ。
私:うーん、やられた。オウム返し。かくして江戸時代に「こぬ」は中央で死語となった。
君:なるほど、飛騨では近世語「こねる」が近代語「あねる」になって、「あねる」は現代語としては死語ね。
私:まあ、そんなところでしょう。罪のない飛騨方言の言葉遊びという事だ。せっかくだから、こんな事で終わっちゃいけないな。直ちに次なる言葉が思い浮かんだんだよ。
君:「こぬ・こねる」と同じような音韻、という意味ね。
私:その通り。「もむ・もめる」。やはり思った通りだった。動マ四「もむ揉」は万葉に文例があり和語動詞。その一方、自ラ下一「もめる」は近世語。洒落本・南閨雑話1773・夢中山人・洒落本大成(底本)あたりからの言葉だ。
君:あら、他にもありそう。どうだった。
私:なんだ同じ事を考えて。先ほど来、五分以上、うんうんと内省してみたが、他には無かったよ。
君:ほほほ、残念ね。たった二つの例では法則とは言えないわね。中世以前が自ナ下二で現代語が自ラ下一である動詞を探し当てて、そして極めつけが自ラ下一の発祥が近世語である動詞を見つけたい、という衝動に左七君は駆られているのよね。ほほほ

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