大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
ぼう(=坊や) |
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私:中日新聞に山田敏弘先生が「ぼう(男子)・びい(女子)」についてお書きなので、少し触れさせていただこう。 君:「ぼう」って明らかに共通語じゃないのかしら。 私:勿論、共通語だ。ただし、これを方言ととらえれば「方言意識」に基づく「方言表現」という心理的な作用なので、広義の方言ととらえることは可能だろう。あるいは、いやいや・ただ単に共通語を方言と勘違いしているだけですよ、という考えに固執すれば、「気付かない共通語」という事になる。それは「坊や」という言葉に現れている。どんな意味? 君:「坊や」こそ共通語だわね。ははあ、わかった。一昔前の共通語「ぼう(男子)」が時代遅れの言い回しとなったので、特定の地域では皆様が「ぼう」は方言で、共通語「坊や」を正式には使用すべきなのだが、というような意識でいらっしゃる、という事よね。 私:その通り。戦前、或いは戦後あたりに使用されていた共通語が現在も使われているかと言うと必ずしもそうではない。従って、戦前の言葉、つまりは近代語、もっと広く考えると近世語・近代語を悉く方言と感じてしまう困った人達がいる。差し詰め、僕などはその困った人達のひとりだな。がはは 君:ふざけないで。もう少し国語学的に、厳密にお書きになったほうがいいわよ。文章の質を落とさない事。最近のあなたには至上命令だわね。 私:ややっ、手厳しいな。ではまず、角川古語大辞典から行こう。「ばう坊」は名詞としては八つ、接尾語としては四つの意味がある。 君:その他の一般の古語辞典、つまりは高校生が受験で使う辞典より精緻な記載というわけね。それでも忙しい読者の為に、ひとことで説明してね。 私:はいはい。「坊」は元々は計画都市の一区画の意味から始まった。条里制における坪。これがさらに転じて東宮坊。 君:なるほどね。 私:何を納得してやがんでぇ。ほらほら、金沢と言えば、あそこでしょ。 君:金沢?ほほほ、香林坊ね。 私:その通り。(君と出逢わなかった)香林坊は地名だ。人の意味は無い。 君:なるほど。時代とともに宿坊、僧坊、等々、僧侶の住む一区画を「坊」というようになったのね。 私:その通り。平安文学にドドドッと出てくる。そのうち接尾語「ばう坊」が現れ、僧侶の意味になる。例えば平家物語の観音坊。実在する人物の他に平安末期には怪力僧・東尋坊などという伝説も現れる。 君:なるほどね。 私:そして「ばう坊」の主人という意味で「ばうず・ばうじゅ」の言葉が生まれるんだ。 君:「お坊さん」の意味ね。 私:まあ、そんなところ。僧坊の主人ならお坊さんに決まっている。また宿坊・茶屋の経営者。これもお坊さんが多かった。文例は源氏、大鏡、宇治拾遺。さらに転じて僧侶一般、さらにさらに意味が転じて技芸や学術の師の意味までつくようになった(蒙求抄)。室町後期、清原宣賢の注釈書。江戸幕府の正式職名のひとつが「茶坊主」。 君:若しかして、それってすべていい意味なのよね。 私:勿論だ。これ以上にいい意味はない、というレベルかな。ただし、敬意逓減の法則により、戦国時代に「ばうず坊主」の言葉は地に落ちてしまう。 君:ほほほ、文献があるのね。 私:雑兵物語がいい例だな。「旦那坊主め。」の罵り言葉が出てくる。「目くら坊主」の言葉も出てくる。弱肉強食の戦国時代に地位に安穏とするお坊さんは庶民や下級武士には侮蔑の対象になったのだろう。 君:なるほどね。でも「茶坊主」は豊臣秀吉や千利休の功績と言ってもいいわね。 私:うん。その通り。やがて太平の世、江戸時代になると面白い現象がふたつ起きる。 君:とは? 私:ひとつは僧侶相手の女色関係の言葉。「坊主おとし」「坊主こかし」「坊主殺し」「坊主たらし」とかね。笑っちゃうな。 君:ほほほ、「坊主殺し」とは、お堅いお坊さんを色香で惑わすとは、それはもう相当な色仕掛けという意味よね。 私:そう。女性の最終秘密兵器をいかんなく発揮する女性、というか男女の恋愛関係に遂に現れた女ラスボス、ってなところだろうね。尤も理性ある男性には返ってもてないと思うが。ぶふっ 君:少し下世話なお話になっていないかしら。 私:失礼。お江戸の庶民では「坊主もち」のゲームが流行った。 君:どういう事? 私:坊主に出会ったら荷物の持ち手が交替するというゲーム。 君:なによ、それ。それだって、お坊様がまるで疫病神のような扱いじゃないの。 私:まあね。江戸文学には、このように一種の特権階級でもあるお坊さんを茶化す言葉が生まれ、「坊主」の言葉はますます地に落ちた。 君:面白い現象の二つ目とは。 私:うん、これが本日の主題。つまりは以上は全て前置きだ。がはは 君:ふざけないで。散々引っ張っておいて。だから簡単に説明してね。 私:うん。江戸時代になって初めて「ぼう」に「小さな子」の意味が加わる。然も、これは男子というか、むしろ女子を示した言葉。ほら、時代劇や江戸落語に出てくるでしょ。「およねぼう御米坊」は「およねと言う名のお嬢ちゃん」。 君:なるほどね。 私:明治中期の国語辞書「言海」にも、昭和初期の「大言海」にも「坊や」の記述は無い。「坊や(男の子)」が出てくるのは戦後の辞書だ。 君:不思議ね。「坊や」が数十年の言葉の歴史しかないなんて。 私:総括だが、「ばう坊」は条里制の土地区画を意味する上代の言葉で金沢市の香林坊にその名を留める。僧侶の意味は平安から。江戸時代は女子を意味した。「坊や」が生まれたのは戦後。 君:つまりは飛騨方言「ぼう(男子)」も近世・近代語という事ね。私も江戸時代の女子なら「お〜ぼう」で呼ばれていたのよね。江戸時代は女子の意味、明治時代からは男子の意味よね。ほほほ |
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