大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
ふとなる |
戻る |
私:今日は飛騨方言の動詞「ふとなる」のお話でもさせていただこうかな。 君:その前に、いつか聞こうと思っていたのだけど、毎日、どのようにして題材を探すの?ネタ切れの日だってあるでしょ。 私:そうだね。思いつく事は時間があればその場で直ぐ書くので、基本的には、いつも明日のネタは無い状態だ。日中は仕事があるから、夕食後にネタを考え始める、一番に楽な方法としては土田吉左衛門「飛騨のことば」をパッと開いて、そこからネタを考える。掲載語彙が一万語もあるので、発見の毎日だ。今日も「ふとなる」を見た瞬間、思わず笑ってしまったよ。 君:死語よね。意味は? 私:ははは、「ふとくなる」だよ。 君:なによそれ、一拍が脱落しただけじゃないの。 私:ははは、ひっかかったぞ。そう言うと思ったよ。 君:しかも、どうせウ音便なんでしょ。 私:ははは、それも大間違い。今日はウ音便は関係ないんだ。モーラの脱落も関係ない。 君:なら、早速に種明かしをしたほうがいいわよ。 私:そうだね。まずは答えだが、元の言葉は古語「ひとなる人成」(自ラ四)。意味も全く同じで「成長する・大人になる」。出典は近松、つまりは江戸語だね。 君:なるほどわかったわ。人(ひと)という単語を子供を含まず、立派に成長した人間という意味に限定するのよね。古語辞典で「ひと」を引けばどなたもお分かりいただけると思うけど、ざっと十通りほどの意味があるのよ。 私:その通り。それに「ひと」のついた古語のなんとまあ多い事。・・あれれ、おい、待ってくれ。源氏に「ひと(人)とな(為)る」があるじゃないか。意味も同じ。先ほどの発言を訂正しよう。「ふとなる」の元の言葉は「人と為る」、意味も全く同じで「一人前の大人になる」だ。 君:あなた、若しかして図体が大きくなるから、手も足も太くなるという事で、意味は「ふとくなる」なんて嘘をついたのね。 私:ははは、ばれたか。ごめんなさい、素直に謝ります。「ふとなる」に太くなるという意味合いはない。精神的に成長するという意味だ。肉体は関係ない。 君:それでも民間語源というものが介在するのが方言なんでしょ。 私:おっ、鋭いね。じゃあ、早速に飛騨方言談義だ。僕が生まれ育った高山市久々野町大西村、ここに高3まで生活していた(1953-72)。当時、村で話されていた言葉は「しとなる(自ラ五(自動詞ラ行五段))」「しとねる(他ナ下一)」だ。「ひと・しと」の音韻対応と、下一で他動詞化は国語文法に準ずる。土田辞書には「ふとねる」の記載もあり、音韻の変化としては古い順に「ひとなる・ふとなる・しとなる(大西村)」である事は明らか。また「ふとねる・しとねる」という他動詞表現だが、実は中部地方に広く分布する表現で、有名な方言の格言があるが、「生みの親よりしとね親」、つまりは「生みの親より育ての親」の意味。子供の持つDNAより子供の育て方が大切、種より畑とも言うが、子育てにおいて父親よりも母親の重要性が計り知れない事も示唆する。 君:前置きが長すぎるわよ。 私:すまない、悪い癖で。そもそもが人が育つ事を「ひとなる」といっていたのに、そのうちに「ひとなる」が「育つ」の意味で独り歩きしはじめたんだよね、多分。あまつさえ音韻が「ふとなる」に変化してしまうという始末。その挙句が大根が太く育つ事も「大根がふとなる」というようになってしまった、それが近世から戦後辺りまでの飛騨方言だったのだろうね。 君:飛騨方言は音便が何でもありだから、私のおばあちゃんも「大根が太うなる」と言った可能性が高いわよ。「太い(形ク)」のウ音便と「ひとなる」の語幹「ふと人」の音韻の違いは際どいわね。そりゃごちゃまぜになっちゃうわよね。 私:あの人達に古語辞典は関係ないからね。それに僕の二人のおばあちゃんは共に明治生まれで、共に小学校しか出ていない。 君:卑下する必要なんてないわよ。優しい方々だったのよね。 私:その通りだ、ありがとう。君も優しいね。俺の馬鹿野郎、両目が汗をかいてしまうよ。君のおばあちゃんがたも優しい人達だったに違いない。人には両親がいて、四人の祖父母がいる。人間は皆、平等だね。 君:ほほほ、同感だわ。ところで「太うなる」は良しとして、それでも「太ねる」はいただけないわよね。 私:そう、その辺が問題で、でも荒垣秀雄「奥飛騨の方言」他、各種の方言資料に「ふとねる(育てる、飛騨)」との記載があるので、正直、笑っちゃうんだよ。昔の飛騨の人達は多分に「太くする」の意味に勘違いして使っていらっしゃったのだろうなぁ、と容易に想像出来てしまうので。 ひとなり/て/をさをさし/君:たとえそう思っても言わぬが花ね。昔の方々に失礼よ。吾が背も少しばかりふとなりなされよかし。 |
ページ先頭に戻る |