大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
げばす(2) |
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私:飛騨俚言動詞「げばす」自サ四だが、失敗するという意味だ。既に「げばす(失敗する)」に語源については詳述しているが、補足資料をお披露目しよう。 君:「げばす」は飛騨の方言としてはその人気は一位、二位を争うといっても過言ではないものの、語源を探求するのは並大抵の苦労では無かったわね。 私:そうだね。一言で言えば民間語源との一騎打ちだった。「下馬する」、つまりはサ行変格動詞を語源だと決めつけて、飛騨のある市の教育委員会が同市のウエブサイトの飛騨方言紹介コーナーに堂々とお書きになるのには閉口した。私も信念を曲げるわけにはいかないで当サイトで公開質問状の形で疑問点を投げかける作戦に出たのだが、無視されてしまった。こちらとて連絡先を明記して返事をお待ち申し上げていたのに。しばらくして同市の方言コーナーは削除されて、現在のところは、グーグルなどで検索をかけても当サイトの説、「かけはづす」、以外はヒットしない状態になったので、私は本当にホッとしている。 君:でも、未だに根を持った記事を書き続けるなんて、大人の態度じゃないわよ。 私:前置きはこれくらいにしておこう。「げばす」自サ四の語源が「かけはづす」自サ四である事に気づいたのは日葡辞書に Caqefazzuxi, ru, atta を発見したからという事だが、今日は若しやと思って角川古語大辞典全五巻を見てみた。 君:「かけはづす」自サ四の記載があったのね。 私:ふふふ、勿論。以下、原文のまま。「かけはづす」自サ四。車につないである牛を放す。車を止めておく時にそうする。「あつまりつどひたる者共のけさせて、車かけはつして榻をたてて」宇治拾遺2.14 「院御所に参りつゐて、車かけはづさせ、うしろよりをりむとしければ」平家8猫間。 君:榻はトウ(タフ)こしかけね。 私:そうだ。牛車から牛を開放する事の意味だったのか。宇治拾遺では牛車の前から降りたようだし、平家では後ろからヒラリと降りようとしたという事なのだろうね。要は、ついうっかりと、というような意味合いは全くない。意味が変わったのは中世から近世だね。 君:日葡辞書には飛び立つ鳥に網をかけようとしたものの、失敗して鳥を逃がしてしまう事の意味で使われているわね。 私:その通り。中世から近世へ同じ言葉なのに意味がコロッと変わってしまったという事。このあたりが「げばす」の語源探しとしては第一段階の大事件というわけだ。 君:ほほほ、あなたの得意論法、ソシュール理論よ。 私:ははは、まさにその通り。シニフィエはびくともしないのに対応するシニフィアンがどんどん変化する、これが方言が出来る原動力というか、日本語が発展してきた原動力だが、まさにその逆の現象が生じてしまったという事だね。シニフィアン「かけはずす」は変わらなかったものの、シニフィエが著しく変化したという事だ。 君:近世に一旦、「かけはずす(失敗する)」自サ四という動詞が出来ても、さらに変化が続くのよね。 私:その通り。「失敗する」という意味・シニフィエが変わらないで、その音韻が「げばす」に変化してしまったと言う事だね。最初に起きたのが語頭の「か」の単モーラの脱落だ。つまり「けはづす」に変化した。続いては語頭の二モーラの濁音化だろうかね。つまり「げばづす」。ここで重要になる知識がアクセント学だね。「掛ける」+「はづす」で「かけはづす」だが、後ろの部分が三拍動詞の場合は後ろから二番目にアクセント核が出来るか、あるいは平板化する、この二通りしかないというのがアクセント学の基礎知識だ。後者の例としては「ねあがり◯●●●」など。「げばづす」の場合は平板化アクセントになってしまった。理由は「はづす」が平板アクセントだからだ。平板アクセントの四拍動詞「げばづす」が平板アクセントの三拍動詞「げばす」になるのに時間はほとんどかからなかっただろう。これだけの事を思いつくのに十年以上かかった。コロンブスの卵と同じだ。答えを知ってしまえば、なあんだそういう事だったのか、の一言で片づけられてしまうが、語源を探す私の身としては、つまりは失われた音韻についてありとあらゆる想像で考え出していく事は一朝一夕の仕事ではない。 君:すべて辻褄があっているという事で、此れなら反駁のし様が無いわね。 私:反駁は大いに結構。僕は自分が十数年に渡って考えて来た「げばす」の語源について確証を得ているが、納得できないおかたは是非ともご意見をお聞かせいただきたい。 君:「げばす」はサ行イ音便でよく使われるのよね。 私:ははは、その通り。「げばいた話(馬鹿げた話)」とか「げばいてまう(失敗してしまう)」とかね。飛騨の人なら誰でも知っている言い回しだ。 君:ひとつ疑問があるのだけど。 私:へえ、何だい。 君:「かけはづす(失敗する)」は日葡辞書に記載がある、という事は近世の上方方言だったのよね。 私:ああ、そうだが。 君:失敗するという意味の全国の方言で「かけはづす(失敗する)」から派生した言葉が無いかしら。 私:なるほど。当然の疑問で、とても良い質問だ。実は鳥取県に「げび(失敗)」という言葉がある。 君:えっ、それだけ。 私:そう、それだけ。この問題についても丹念に調べ上げた。ヒントは方言量。 君:方言量?・・なるほどね。ひとをののしるような言葉は方言量が多いのだわ。「失敗する」をキーワードに全国の方言を調べると沢山の語彙になるのでしょ? 私:その通り。膨大な数です。極論を言えば各県でバラバラというような状況だ。このような状況で飛騨と下伊那というごく一部の地域で、たまたま「げばす」という言葉になったというのが真相という事なんだよ。 君:なるほどね。松本修著「全国アホバカ分布考」という出版物があるくらいだから、「失敗する」という動詞がテーマで一冊の本が書けるという事なのね。あなたにそれを期待するのは無理かしら。 私:飛騨方言の研究だけで手一杯です。それだけは勘弁してください。 君:あなたは全国の方言を広く浅く、ではなく、とことん飛騨方言に拘って狭く深く、が性に合っているのね。ほほほ |
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