大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
ひず(=元気) |
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私:マニアックな記事ばかりを書いては当サイトの社会的価値が無いに等しいが、「ひず」は飛騨方言のみならず美濃方言にも存在するようだ。瀬戸重次郎「岐阜県方言集成」にも記載がある事を数分前に知った。 君:という事は飛騨・美濃だけの方言。県単位で考えれば岐阜県の俚言じゃないの。 私:そうなんだよ。然もほとんど死語と言ってもいいかな。戦前の人達にとっては生活の言葉だったのだろうけどね。 君:何か全国の読者の皆様に役立つ情報が無いといけないわよ。 私:うん、そうだね。但し基本的には自分のために書いている。飛騨方言の語彙すべてについて、例えそれが死語であろうとも必ず語源を突き止めてお披露目したい、という気持ちでサイトを運営してきた。 君:ほほ、それで語源は?古語辞典ね。 私:うん。結論だが、「ほにいづ穂出」に間違いないと思う。 君:詳しく説明してね。 私:「ほ穂」は和語。万葉集に出て来る。「ほ秀」と同語源。「ほ穂」「ほ秀」共に「他に比べて突出しているもの」という意味の体言だ。ここから意味が敷衍して、「穂・秀」共に、目立つもの、外面に現れているもの、内容が優れているもの或いは場所、などの意味として使われるようになった。以上、角川古語大辞典情報。言い換えれば「元気」の意味ともとらえる事が可能。 君:なるほど。だから「ほにいづ穂出」が後世に音韻変化して「ひず」となりつつも「元気」の意味に集約されてきた、という事ね。 私:その通り。あくまでも佐七の妄想だが。妄想ついでに、上古に美濃でこの言葉が生まれ、飛騨には伝わったが、尾張には伝わらなかったという事なのだろうかね。 君:万葉集は? 私: めづらしき 君が家なる 花すすき君:その心は? 私:懐かしいあなたのお家の花すすきが一斉に穂を出している秋です。この秋が過ぎていくのが何とも惜しまれてなりません。 君:君とは誰? 私:当時、天然痘が大流行し、大和という国が滅亡しようとしていた。聖武天皇は平城京から恭仁京(くにきょう/くにのみやこ)に遷都を決意。広成が橘諸兄(たちばなのもろえ)と共に新都建設の命を受け平城京を離れた時の歌。その心は望郷。平安時代(男女関係なく高貴な人の意)と違って奈良時代。当時は「君」と言えば天皇、あるいは特定個人を意識して女から男を示すのが普通。稀に男から男を指す事もある。今回はこれだな。広世を文武天皇とその嬪であった石川刀子娘の間に生まれた皇子とする説が有力。従って「君」とは「我が父・文武天皇」だろうね。勝手な想像。これだから万葉集はたまんない。若し間違っていたらゴメンネ。 君:過行く秋が名残惜しい、という事で、あまり元気なおおらかな歌とは言えないわね。 私:そうだね。もの思う秋、人恋うる秋、ってな感じだな。 君:でも後世には「ほにいづ・ひづ」は「とっても元気」という意味になったのね。 私:ところがそうでもない。 君:? 私:飛騨方言でも美濃方言でも「ひずがない」つまりは「元気が無い」という熟語で使われる事がほとんど。「ひずがある」・・聞いた事、ないなあ。ぶふっ 君:なるほどね。 私:「元気を出しましょう」という意味で「ひずだいてやらまいか」になるが、「ひず」そのものが「ほにいづ」なので「いづ出」が重複している。ぶふっ 君:なるほど、よかったわね、今夜もどうでもいい記事が書けて。ほほほ |
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