大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
いける(=埋める) |
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私:物を地中などに埋める事を飛騨方言で「いける」というが、語源についてお話となると複雑な話になるので少々、頭が痛いね。現代語では、お花を生ける、という表現に生きている言葉だが。 君:語源の話というとあなたはワンパターン。古語辞典を引っ張り出すだけの仕事。だから今夜は動詞「いく生・活」のお話ね。ほほほ 私:ここは何と言っても角川古語大辞典だ。★自カ四「いく」生きる・命を保つ・生き返る、★自カ上二「いく」同上・囲碁用語、★他カ下ニ「いく」自カ四に対する他動詞、★接頭語「いく」名詞に冠し永遠の生命力を保つ。 君:何を言ってらっしゃるの。要は今日は他動詞のお話よ。他カ下ニ「いく」の議論だけでイケイケという事でいいのよ。だから意外に簡単な話なのよ。 私:なるほどそうか。わかったぞ、文語で他カ下ニ「いく」、これが口語で他カ下一「いける」に変化しただけの事。そしてポイントはひとつ、この二つの動詞では意味変化は起きていない。他カ下ニ「いく」では、現代語でいう、お花をいけるの意味とか、飛騨方言でいう、埋める、という意味が生まれていた。 君:その通りよ。 私:文語自カ四「いく」の意味はたったひとつ。現代口語の自カ五(自動詞カ行五段)「生きる」と同じ。その一方、文語自カ四「いく」から他カ下ニ「いく」が派生した時に、なんと意味が四つに膨れ上がっているね。 君:それは違うわよ。長く他カ下ニ「いく」が使われているうちに、ひとつずつ意味が増えて近世語で四つの意味になり、これが口語にそのまま引き継がれたという事だわよ。 私:そりゃそうだよね。せっかくだからその四つの意味とやらを時代を追って、という事で列挙してみよう。まずは「生き続けさせる」という他動詞の意味が出来た。殺さないで生かしておく、という意味だ。続いて出てきた意味が、生き返らせる、と言う意味。一見死んだように見えるものに水をやるとか、呪文を浴びせるとか、生気を与えるという意味。三番目が生け花の用語だ。切った花はその時点で死んでいる。ただしそれを盆栽の上でアレンジすると見事に生きたように見えるようになる。つまりは死んでいるにもかかわらずいかにも生きたように見せるという意味だ。そして最後、四番目の意味だが、これが飛騨方言の、埋める、の意味。なぜそうなのかと言うと、秋に収穫した野菜や果物を天然の冷蔵庫とでも呼ぶべき畑の土の中に埋めておく事。そうする事により鮮度が保たれ、冬のさなかに時々は畑から掘り起こして食す事ができる。 君:そうね。 私:うん、実にすっきりした。ここからは方言学の話になろうかと思うが、他カ下ニ「いく」は日葡辞書にも記載がある。「クリ・ミカンなどを iquru」との記載だ。 君:ほほほ、音韻変化まで丸わかりじゃないの。他カ下ニ「いく」から他カ下ニ「いくる」、そして現代語の他カ下一「いける」に変化という事ね。 私:その通り。中世の畿内方言では未然形が「いくらぬ」となっていた事を意味するね。 君:「う」から「え」への母音交替ね。 私:まさにその通り。母音交替の原則にも当てはまりますな。「あう」は「え」になる。 君:「あう」は「お」にもなるわよ。 私:開合の法則だね。五段動詞の未然形が二種類になった要因。開合しない四段動詞では未然形は一種類。開合の区別とはオ段長母音の開音と合音を区別する事だ。行きましょう、と言う意味で、飛騨方言は「いかまいか」、美濃方言は「いかうまいか」から「いこまいか」への音韻変化が生じた。 君:まだ方言学の話は終わっていないわよ。「いける(埋める)」は古語に由来するわけだから全国共通方言なんでしょ。 私:勿論そうだが、実は激レア方言と言ってもいい。話される地方は、秋田、群馬、埼玉、そして飛騨。非常に限られた地方だ。面白いのが秋田県男鹿半島だな。 君:どういう事? 私:土葬の意味なんだよ。 君:なるほど「いける」といっても弔うという、文字通りに真逆の意味なのね。でもそうする事によって死者の魂を大地同様に永遠のものと考えるとか、土から生まれたものは土にかえる、つまりは輪廻の意味とか、民俗学的な解釈が可能だわね。ほほほ |
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