大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
いのく・いのかす(動く・動かす) |
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私:表題の通りだが、いのく・いのかす、は飛騨をはじめ全国各地の方言となっている。 君:大阪をはじめ、とお書きになったほうがいいわよ。 私:確かにね。飛騨の人口は十三万人程度だろうか。面積ではどこの県にもひけをとらないのだが。 君:少しばかり訛っているというだけの事じゃないかしら。 私:使っている人には方言意識はあるだろうね。だからあらたまった場面では用いられないでしょう。 君:結論を急ぎましょう。日葡辞書に記載がないかしら。 私:とても良い質問だ。同辞書に記載は無い。あるのは「うごき、く Vgoqi,qu」「うごかし、す Vgocaxi,su」。 君:それは意外ね。現代共通語と同じなのね。 私:「うごく動」自カ四と「うごかす動」他サ四は立派な古語で、つまりは和語。万葉から現代に至るまで変化していない。 君:上代の重要品詞に「うごなはる集」自ラ四があるわね。 私:その通り。「うご」は「うごく」の語幹で、「なはる」は接尾語。大勢が集まっているさまを上方から見て言う語。出典は孝徳記大化二年・訓。 君:つまりは音韻の変化があったのは近世、江戸時代ね。 私:その通り。「いごく・いごかす」が江戸、つまりは中央の言葉になった。 君:そこから「いのく・いのかす」になったのかしらね。 私:そう考えるのが自然だろうね。「う」から「い」へ、「ご」から「の」へ、ア行とオ列での音韻変化と考えると話はすっきりするよね。 君:つまりは、上方では日葡辞書にあるように「うごく・うごかす」と言っていたのに、江戸で「いごく・いごかす」と言い始めるや「いのく・いのかす」を発明したという訳ね。難波の江戸に対する対抗意識。時代は明治になり、困った政府は「うごく・うごかす」を標準語と定め、「いごく」も「いのく」も使っちゃダメという事になったのよね。 私:つまりは東西対立がはっきりとしていたので、原点の「うごく」に帰ろう、という事だったのかもしれない。 君:飛騨方言が江戸時代に上方の影響で「いのかす」になったと考える事に少し抵抗を感じてしまうわ。 私:「いのく」は尾張方言でもある。僕は一瞬、ギア方言の語彙かとも思ったが、やはりこれは東西対立の動詞だろうね。更にはひとつ気がかりな別の動詞がある。 君:別の? 私:古語動詞「のく退」。 君:ほほほ、なるほど。自他同じよね。「のく退」自カ四と「のく退」他カ下二。現代語では「のく退」自カ五(自動詞カ行五段)と「のける退」他カ下一。 私:自動詞については議論は簡単、「のく退」自カ四と「いごく」自カ四の連想から「いのく」自カ四が発明されたであろう事は容易に想像できる。ただし、他動詞についても然りとはいかない。現代方言との整合性が問題となる。これについて僕の解釈は以下だ。明治には「いごかす・いのかす」が両方ともご法度になったので「のける」の連想で「いのける」という他動詞は生まれなかったと考えたい。あるいは「いのける」という音韻が可能動詞っぽいところが嫌われたのだろうか。三拍の音韻だとあまり可能動詞っぽくはないのが不思議だね。「さける避」「かける欠・掛」等々。五拍もそうだ。「うごける」は可能動詞である一方、「とおざける」は可能動詞では無い。 君:屁理屈のオンパレードはさておき、今日の本当の結論、コロナが収束するまで「いのかないで」おきましょう。 |
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