大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
きわ(近く、傍) |
戻る |
私:標準語・共通語ではあまり「きわ」という名詞は単独では使われなくなったが、窓際・額の生え際・別れ際・往生際、などの語彙は健在だね。この場合はいずれも「境目」の意味だ。飛騨方言では「きわ」を「傍・近い所」の意味で用いる事がある。しかも共通語アクセントは尾高だが、飛騨方言は頭高だな。 君:用例は? 私:左七が妻のきわに寄る、学校のきわに文房具屋がある、とか。 君:古語の「きは際」が語源だから、今夜の記事は面白くもなんともないわよ。 私:ははは、そう来ると思っていた。でも古語じゃ「やむごとなききは(とても高貴なお方)」など、意味は多岐にわたるぜ。そもそもが、古語の「きは」って何? 君:語源は限られるわね。 私:然り。「き」は「きざむ」ないし「きる」。「は」は「は端」で決まり。 君:切るも刻むも同じ意味だわよね。 私:然り。カットした先っぽが「きは」。和語には違いないが、合成語だ。出てくるのは平安文学から。当初から意味は多岐に渡り、境目・限界・限度・物事の折・身分や階級・程度・節季、等々。ふう。これらは要するに一言で表す事ができる。当サイトでも繰り返し話題に取りあげてきた。 君:ほほほ、「きは」は「具体語」ならぬ「抽象語」ね。 私:その通り。先ほど来、各種の古語辞典を丁寧に読んで、例文を吟味したが、飛騨方言での用法「近く、傍」の用法は見当たらなかった。大発見だ。浄土和讃だが、「きはもなし」、つまりは世界の隅々までの意味だ。 弥陀成仏(みだじようぶつ)のこのかたは 君:おバカさん。 私:えっ、どうして? 君:窓際・額の生え際・別れ際・往生際、これらは全て「近く、傍」の意味。つまりは近世語・近代語として「近く、傍」の意味が加わったのよ。広辞苑等、現代語辞典には記載があるはずよ。 私:うーん、そうだったか。方言かも、と勘違いして実は共通語である場合、「気づかない共通語」という学術語がある。共通語なのに方言と勘違いする事だ。死語に近い一昔前の共通語、慣用語とは言い難い共通語など。これも実は広義の意味で方言に含めてもいいのだが。逆に「気づかない方言」という学術語もある。こちらは方言意識なく話される方言の事。これに気づく事が方言に興味を持つきっかけになる事が多い。 君:その二つの学術語に免じて、大目に見てあげるわよ。私って優しいのよ。「きわ」は広義の飛騨方言ね。ほほほ |
ページ先頭に戻る |