大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
こけ(=キノコ) |
戻る |
私:コケ(苔)とキノコ(茸)は明らかに異なる植物だけど、飛騨方言ではキノコの事をコケというよね。 彼:ええ。キノコ採りの意味でコケ採りと言いますね。 私:土田吉左衛門著「飛騨のことば」を見てみよう。こけとり(キノコ狩り)、こけとりば(キノコ狩りの場所)の二語の記載がある。 彼:ええ、確かに。共通語・キノコは飛騨方言ではコケですね。 私:でもなんでそうなんだろう。 彼:どうしてかって言われても。そう言えば、生物学分類でありましたね。菌類とか藻類とか地衣類とか、とにかくあれこれ分類があって。でも地面にへばりついているという点では似通った植物という事で、飛騨方言では厳密に区別しない、飛騨方言のよくない点かもしれませんが、二語を区別しないというのは、曖昧な単語の使い方、ファジーな言い方という事なんでしょうね。 私:ふふふ、ひっかかったぞ。 彼:えっ、そうじゃないんですか。 私:うん。正解なのは認めます。しかしそれだけじゃないんだ。方言学的立場から深堀りしてみよう。ひとつ見せたいものがある。魚のウロコ(鱗)の全国の方言分布だ。国研の戦後の言語調査地図。ネットに公開されている。場所はここ。 彼:どうしてキノコやコケが魚のウロコと関係するのか、佐七さんも変な事をおっしゃって。若しかしてキーワードを間違えていらっしゃいませんか。 私:ふふふ、よくみて。 彼:ええっ!!何ですか、これ!飛騨山脈を境にして綺麗に東西に分かれているじゃないですか。然も東日本全体で魚のウロコの事をコケというだなんて。 私:飛騨より西側では魚のウロコはウロコと言うが、飛騨山脈の東ではコケと言うんだよ。 彼:どうしてこんな東西対立が生じてしまったのでしょう。然も東日本で魚の鱗を苔という発想が僕には理解できません。 私:東西対立には原則がある。東が古くて、西が新しい。古代には日本全国で魚のウロコをコケと呼んでいたが、奈良時代の大和朝廷・つまり日本の勢力範囲だが、東の果てが国境たる飛騨山脈、それにて飛騨は言葉的には都の影響を受けるようになった。ウロコの古形は「いろこ」で、これは更に「いらか」から来ているとの説が有力だ。 彼:あっ、なるほど。天平の甍。井上靖の歴史小説ですね。遣唐使で大陸に渡った留学僧達の物語。 私:甍とウロコは強烈な共通項があるよね。 彼:はい、それは小学生でも分かります。屋根にビッシリと繰り返し文様で描かれるのが甍で、魚の表面のウロコと正に同じ。 私:だから奈良時代に中央ではお魚の表面はコケではなくイラカというハイカラな言い方になったんだよ。イラカがイロコを経てウロコに音韻変化したのは室町末期だ。律令制の時代、おびただしい人数の飛騨工が、然も飛騨の全ての村々から、都への短期出張を繰り返した。だから都のハイカラな言葉・イラカはたちまちに飛騨全体に広まり、奈良時代の飛騨人は皆がお魚のイラカというようになった。 彼:へえ、そんな事があったのか。 私:ああ。これで東日本の方言では魚のコケと言い、飛騨はじめ西日本では魚のウロコというカラクリが判明した。続いては、本日の本題だが、どうして飛騨では茸をキノコといわないのだろうという事を考えてみよう。キノコの古語はわかるよね。 彼:ええっと。 私:タケ茸だ。マイタケ舞茸、ヒラタケ平茸、等々。飛騨を除く西日本ではタケが定着。つまりはキノコの古語はキノタケ、これがキノコに変化する。ただし実はこの音韻変化は東日本、つまりは飛騨山脈の向こうでのみ生じたんだ。然も上古、相当に古い時代の事。珍しい事が重なったというわけだよね。キノコのほうがなんとなく可愛らしいね。 彼:ええ、明治チョコスナックきのこの山ですね。 私:そういう事。 彼:でもどうして飛騨ではキノタケ、キノコにならなかったのでしょう。 私:君はこのサイトがエンタメサイトだという事を知らないのか。 彼:えっ、エンタメ? 私:然も僕が君に問いたいのはたった一点、飛騨で、タケ、と言えばあれで決まりだよね。 彼:つまりはタケという音韻ですか。 私:そう、その通り。 彼:うーん、わかりません。 私:軽々しくあきらめるな。既にヒントを与えている。 彼:えっ、何もヒントはもらっていませんが。 私:何を言ってんだい。これは国語問題だ。国語の問題の有難いところ、質問に答えが全部書いてある。 彼:「飛騨と言えば」という事ですね。 私:そう。瞼を閉じて故郷を思い浮かべるんだ。 彼:故郷の風景という事ですね。 私:そう。故郷だ。 彼:・・ふふふ、わかりました。タケ嶽・岳。乗鞍岳、御岳、笠ヶ岳。 私:そう。飛騨は山の国。北アルプスの国だ。タケといえば御岳、乗鞍、笠ヶ岳。だからタケという音韻は予約済みだったんだ。 彼:なるほど。古代には家の屋根も、魚のウロコも、コケも、キノコも、みなコケと呼んでいた所へ、飛騨では中央の影響を受けて魚のウロコと言うようになり、その一方、山岳信仰あつき飛騨の人々は中央語タケも東国のキノタケも嫌って、コケ(=きのこ)を古代から使い続けてきて現代に至るという事でしょうか。 私:やったぞ、百点満点だ。飛騨の人々は実は、古代語・コケを使っているという事。いよいよ面白くなってきたな。じゃあキノコ茸の全国の方言分布を見てみよう。場所はここ。 彼:うひゃーっ、なんですか、これ。またまた飛騨山脈を境にして見事なまでの東西対立じゃないですか。東日本は魚の鱗がコケでキノコがキノコ、飛騨は魚の鱗がウロコでキノコがコケ、近畿は魚の鱗がウロコでキノコがタケじゃないですか。 私:そう。面白いのがキノコという言葉だな。タケ->キノタケ->キノコの音韻変化だが、東日本・キノコのほうが西日本・タケより新しい言葉という事になる。東西対立パターンは西が新しくて東が古いという原則と真逆になっているのだから、つまりアンビリーバボー。つまりは方言の屁理屈はなんでもありの楽しい世界。ぶふっ 彼:でも、古語のお話が入ってくると、なんとなく真面目なお話らしく響きますね。 私:おいおい、ほめ殺しか。基本は大まじめな議論をしているつもりだ。なにせ、記事には僕の名誉がかかっている。文責はすべて私・大西佐七にある。でも若しかして間違ってたらゴメンネ。くどいようだが方言学の基本は古語辞典。今日も二人で方言の神様にお会いできた事を感謝。 彼:いやあ、今日も長々と全国を俯瞰した壮大な方言歴史ロマンスでしたね。 私:いや、実は以上が前置きなんだ。 彼:じょ、冗談を。 私:じゃあ本論は簡単に、あっさりと行こう。体の垢と言ってもいいが、頭のフケが多い事を悩む人は多いと思う。 彼:ええ。こまめに洗顔、あるいは朝シャンですかねぇ。 私:結論を急ごう。脱線しないでください。 彼:脱線??・・わかった。コケとフケ、これって若しかしたら関係あるんですね。 私:大ありだ。フケもコケの音韻変化。体にびっしりついたコケがフケだ。つまり古代人はフケの事を実はコケと言っていた。 彼:なあるほど。 私:これくらいで驚くな。カ行からハ行に音韻変化した言葉はまだ他にもあるぞ。かむ噛・はむ食、かゆし痒・はゆし映、そしてコケとフケ。学術語は子音交替 metathesis だ。 h-k 交替とでも呼ぶべき音韻変化だが、今、ネットを探したが、あれれ、みつからない、 p-m 交替についての論文はあった。音韻交替と文法的機能分化・意味分化──「破裂音─鼻音」(阻害音─共鳴音)対応── 。土田吉左衛門著「飛騨のことば」にはh-k 交替の例として古語・他マ四「くくむ(=含む)」の記載がある。飛騨方言としては死語に近いな。でも古語辞典では重要品詞だぜ。 彼:なるほど、今日の結論は★地図を二枚重ねると見えてくるものがあるという長い前置きと★言葉の歴史的変化の原動力の一つ・子音交替についてのあっさりとしたお話でしたね。 |
ページ先頭に戻る |