大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
こそばゆい(くすぐったい) |
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私:くすぐったい、と言う意味で飛騨方言では「こそばゆい」というが、これなんか古語そのものの言葉だね。 君:確かにね。古語辞典には「こそばゆし」形クがあるわね。出典は著門集(鎌倉)、湯山千句抄(明応9 、1500) 私:つまりは中世の古語「こそばゆし」。これが近世語で「こそばい」になる。江戸文学。 君:でも共通語では「くすぐったい」でしょ。この言葉は何時の時代からかしら? 私:「くすぐったい」も古語辞典にあるよ。近世語。つまりは江戸文学では「こそばい・くすぐったい」の同居の時代がある。やがて「こそばい」は廃れて「くすぐったい」となり現代に至る。 君:なるほどね。ははあ、わかったわ。方言量は「こそばゆし」の系統は大変に多くて、「くすぐったい」の系統は少ないのでしょ。エッセンシャルな生活語彙であるだけに、古い言葉であればあるほど、多彩な音韻変化が生じたという事は容易に想像できるわ。 私:正にその通り。賢明な読者の皆様にあえてお書きする事もないのだがあえて、一般論として、語源たる言葉が上代語・中世語辺りならば方言量が多く、近世語辺りならば少ない。そして現代語には方言が無い。早速だが「こそばゆし」の方言量はざっと百個もあるのに、その一方、「くすぐったい」の方言量は1、つまりはなんと各地の方言はゼロ。つまり「くすぐったい」は近世語かつ現代語。もっとも、飛騨方言では「くつばかしい」「くつばええ」等々の音韻もあるが、これらは全て「こそばゆし」の系統にカウントされている。つまりは方言学の立場は「くすぐったい」も「こそばゆし」から派生した近世語という事。方言学にご興味のない多くの日本人は「くすぐったい」を現代語としてとらえている。 君:形容詞は理解できたけど、動詞はどうなのかしら。 私:ははは、調べたよ。古語は「こそくる」他ラ四だ。これが後代に濁音化する「こそぐる」他ラ四・愚管抄(鎌倉)。これが近世語「くすぐる擽」他ラ四の動詞を生んだ。漢字は当て字。つまりは意味が先行し、それにマッチした漢字が当てられた。 君:つまりは近世語「くすぐる」から近世語「くすぐったい」が生まれた可能性があるわね。 私:まさにそう思う。ただし、とても不思議な事に気づいてしまった。 君:どういう事? 私:以上の議論は角川古語大辞典全五巻を踏まえての情報提供だが、「こそばゆし」「こそぐる」共に鎌倉時代。という事は、つまりは平安時代の言葉が見つからない。 君:平安末期も鎌倉も変わりがないでしょう。奈良・平安初期の言葉が見つからない、と言い換えるべきだわ。それに、ほほほ、何を言っているのよ。「そぐ削」他ガ四が源氏に出てくるわよ。つまりは「髪を削ぐこと」、つまりは切りそろえる事。今も昔も髪は女の命よ。「そぐ」の動詞があって、そして多分、チョッピリ削ぐことを「こそぐ」他ガ四というようになったのよ。文例は宇治拾遺。これに「る」がくっついて「こそぐる」となって「くすぐる擽」に続くのじゃないかしら。つまりは「くすぐる」は「そぐ削」他ガ四から来ているのよ。 私:古語ロマンスだね。方言ロマンスに通じると思う。でも話には限界があるようだ。方言の話に戻ろう。小学館古語大辞典全三巻には「くすぐる」の項目は無い。「こそばかす」の項目があり、ざっと三、四十の音韻変化が記載されている。だから鎌倉の文献・愚管抄に「こそぐる」他ラ四があったのだが、同時代あたりに口語の表現、つまりは文献に表れない言葉で「こそばかす」もあったのではなかろうか。ところが「こそばかす」は角川古語大辞典全五巻には記載が無い。思うに方言は口語文化だ。文献、つまりは文学に出てくるとは限らない。これが僕が常々思う方言ロマンス。 君:「こそばかす」は「〜かす」という接尾語(辞)によって形成されているのでは、のご意見は一見すれば素敵な考えだわ。というか、古語文法そのものよ。ただし後述するけれど重要な誤りがあるわね。さてさて、「かす」接尾語(辞)サ四型は使役の意を強調するのよね。また、上接する動詞を強めても用いられるわ。動詞の活用語尾のア段に接続。例、「走らかす」「惑はかす」「笑はかす」「今はかぎりの道にしも我をおくらかし、けしきをだに見せ給はりざりりけるがつらきこと(源氏)」。ただし「こそばかす」が成立するためには「こそばゆし」という形容詞こそ有れ、必須の「こそぶ」という動詞がそもそも存在しない点で完全にアウトなのよ。それでも書き言葉に表れない、民衆の「誤れる回帰」の表現、つまりはこの接尾語(辞)は形容詞を動詞化させる機能があるのかのも、という事で上代あたりに「こそばかす(くすぐってやる)」という言い方があったとしても不思議ではないわ。お話としては、いかにもありそうだけれど怪しげなストーリー。 私:でも揺るぎの無い事実がある。つまりは、「こそばかす」は全国各地の方言になっているという事。間違いなく何か古語で同根の言葉で繋がりがあるんだよ。それにね、ついでだからと思ってオノマトペも調査したんだ。実は現代語「こそこそ」だが、既に宇治拾遺に出てくる。つまりはこうなってくると「こそばゆし」の語源は「こそこそ」+「はゆし映」の連濁かな、なんて想像してしまうのだけれど、どう思う? 君:開いた口が塞がらない。単なる思い付きの怖いところ。意味が繋がらないからアウトね。 私:そうだろうな。「こそぐる」が「こそこそ」+「くる来」でない事は明らかだ。 君:「こそこそ来る」人を「こそ泥」というのよ。こちらは「こそこそ」+「泥棒」に間違いないわ。ほほほ |
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