大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

こわい(=恐縮する)

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私:読者のお方から表現が難解であるとのご指摘があったので、お話相手は君という事で。あなたはガチのリケジョで国語学は学んでいないからね。それに当サイトの内容は方言学の細かいお話ではなく、私にとっては平易過ぎる内容でも、一般の皆様はご興味をお持ちくださるかもというような内容もお書きして。それに君は生まれも育ちも名古屋であり、飛騨方言は全くご存じないしね。
妻:飛騨方言で恐縮は「こわい」なのね。名古屋方言なら「すまん」かしらね。
私:岐阜県も愛知県も否定は「ぬ」だからね。静岡より東は「すまない」。
妻:どうして飛騨方言では「こわい」と言うの?
私:古語の形ク「こはし強」から来ている。形クはク活用形容詞。ただし「こはし強」には様々な意味があって、角川古語大辞典には10通りの意味の記載がある。
妻:古語「こはし」は受験の重要単語でしょ。ポイントをお示ししてね。
私:手元の一番に薄っぺらい古語辞典が学研コンパクト版。五つある。しっかりしていて強い、強情だ、硬くてごわごわする、坂が険しい、恐ろしくて怖い。
妻:なるほど、沢山の意味ね。
私:飛騨方言の場合、「恐ろしくて怖い」という意味が敷衍されることにより「恐縮する」という意味になったわけだね。それ以前の問題として、どうして「こはし」には十通りもの意味が出来てしまったと思う?
妻:それは国語学の知識が無くても簡単にわかるわ。最初はたったひとつの意味だったのだけれど、長い日本文学史の中でいろんな意味が出てきたからよ。
私:その通り。「こはし」はたったひとつの意味からスタートした。その意味とは?
妻:「硬くてごわごわする」で決まりね。
私:うん、いい感している。そう直感した理由は?
妻:他の意味は人の感情を表しているのだし、坂が険しいという意味も抽象的と言えなくも無いわね。要は「硬くてごわごわする」は即物的、具体的なのよ。
私:うんうん、そこで必ず引き合いに出される人達がいる。
妻:人達って、ほほほ、わたしたちの三人の孫。
私:その通り。幼児は即物的な事しか話さない。上古の「こはし」もそのようにして使われた。万葉集に「こはた強田」という地名表記がある。従って「コハシ」は「硬い」という意味から始まった。竹取に既に抽象語の形ク「こはし強(強情である)」があるから、あくまでも一般的な傾向という事で認識して欲しい。江戸文学などには「こはし」で、ちょいと変わった意味が出て来る。
妻:ははあ、わかったわよ。ある時代に十個の意味の「こはし」が使われた事はなくて、どんな時代にも、意味はせいぜいが数個だったのよね。
私:その通り。それが証拠に現代語では「かたい」の意味はなく、専ら「おそろしい」という意味で用いられる。ところがどうだろう。ここに小学館日本方言大辞典がある。全国の方言全てが記載されているといってもよいが、「こわい」は幾つの意味があると思う?
妻:さあ。沢山よね。
私:うん。「こわい」には26通りの意味がある。勿論、各地ではたったひとつかふたつの意味でしか使われない。「こわい」は古語辞典では10通り、各地の方言では26通り。何故だと思う?
妻:ひとつには中央で「こわい」の意味が時代とともに変遷し、それが地方に伝わり、更に地方で意味が様々に変化したからだわね。
私:その通り。有難い事に日本は島国で単一民族・単一言語なので言語間の衝突を考える必要が無い。中央から地方へ言葉が伝わったというステレオタイプな考えで全て説明がつく。本居宣長らが気づいていた。全ての方言は必ず古語を語源としている。
妻:古語の「こはし(恐縮する)」について説明お願いね。
私:うん。古語の10通りだが、まずは三つにわかれる。★硬い★勢いが激しい★恐怖感を覚える。飛騨方言は「恐怖感を覚える」から来ているね。
妻:でも「恐縮する」は快の感情だし、「恐怖感を覚える」は不快の感情、つまりあべこべだわよ。
私:確かにその通り。古語の「★恐怖感を覚える」の意味はやがて二手に分かれる。ひとつは文字通り、怖くて仕方ないという意味。もうひとつは気味が悪くなるほどの思いもよらぬ不思議な力が有るさま、畏敬の念を起こさせるさま。
妻:なるほど、飛騨方言「こわい」は後者で、恐縮・畏敬という意味になるのね。文例は?
私:するどいね。浮世風呂。以外と新しいね。今でも江戸っ子は「こわいね、そんな事されちゃ」なんて言わないのかな。
妻:それこそ小学館日本方言大辞典のお出ましでしょ。
私:ところがね、東京語はほとんど記載が無いんだ。東京語というものが存在する。そしてそれはほぼ共通語に等しい。当たり前と言えば当たり前の事だが、共通語は方言辞典に記載が無い。
妻:江戸はさておいて、飛騨以外に「恐縮」の意味で用いる地方が無いのかしら。
私:うん。これがなんと皆無に近い。ただし三重県名張に「あれこわい(思いがけない)」があるそうだ。
妻:私、いま大変な事に気づいたわよ。
私:うんうん、気づいたかい。するどいね。
妻:つまりは「恐縮です」という意味で話しても、飛騨方言を理解しない方がお聞きになると「不愉快です」という意味なのかな、という事でとんでもない誤解をなさるのよ。
私:まさにその通り。しかも更に話をややこしくしてしまう事がもうひとつある。
妻:えっ、どういう事?
私:飛騨方言では「不愉快です」の意味で「こわい」という事もあるんだよ。
妻:なんですって。「有難すぎる話です」の意味でも、「迷惑極まりないのでおよしください」の意味でも使われるという事なのね。
私:そう。ついついポロっと出てしまう言葉、いわば感嘆文なんだが、いい意味でも悪い意味でも使う。初対面の飛騨以外の人には使わないのが無難といったところだろうか。
妻:飛騨の人どうしでは何ら問題ないのね。
私:それも微妙だな。「あーれ、こーわいさ、左七を好きになってまって(まあいやだ、左七を好きになってしまって)」、この場合は快の感情。「あーれ、こーわいさ、左七が名古屋に行ってまって(まあいやだ、左七が村を離れて名古屋に行っちゃうなんて)」は不快の感情だな。
妻:いいえ、違います。あのしつこい左七が目の前から消えてせいせいした時の快の感情かも知れないでしょ。
私:うん確かに。快・不快のどちらなのかは結局、当事者にしかわからない。飛騨方言「こわい」は、なかなか味わい深い言葉だね。
妻:激しい感情が惹起された、という事だけはわかる言葉「こわい」というわけね。
私:「いやよ」を額面通りに受け止めるべきか、あるいは「いいわ」の意味なのか、全ては文脈で決まる。
妻:取り留めのないお話ね。
私:では、言語の一方向仮設についてお話ししよう。
妻:とは。
私:諸言語において具体語・個別語・自立語は抽象語・一般語・拘束形態素に発展するという仮説だ。
妻:なるほど。「こはた強田」は石がごつごつある田んぼ、硬い田んぼで、飛騨方言「こわい」は抽象語だわね。一般語でもあるけれど、まだ自立語に留まっているのね。
私:ははは、ひっかかったぞ。飛騨方言には既に拘束形態素がある。赤飯の事を飛騨方言では「おこわ御強飯」と言う。女房詞だが、飛騨方言に残っている。
妻:女房詞とは。
私:室町だね。女官の言葉。飛騨方言では他に「おくもじ(漬け物)」「おかちん(吸い物)」などの女房詞がある。先ほどだが古語辞典で「こは強」を調べまくったが、結構な数の拘束態素として記載があるね。
妻:何言ってるの。「こは強」という接頭語でしょ。万葉集の「こはた強田」が既に拘束形態素だわよ。ほほほ

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