大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
くれ(榑) |
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私:今日の話題は飛騨の住宅だ。 君:昔の住宅ね。くれぶき(榑葺)の屋根のことよね。 私:ああ、古語辞典に記載があるから多分、各地の方言としても残っているだろうね。 君:ほほほ、漢和辞典を引いて、おやっ、と思ったのでしょ。 私:正にその通り。和語「くれ」だが「榑」は当て字、つまりは国訓なんだね。田島優「あて字の日本語史」風媒社ISBN978-8331-2094-4という専門書も手元にある。読み始めたばかりだが。国訓とは漢字にその意味を表す和語を充てた読み方(例:「水(スイ)」を「みず」)、または漢字本来の意味と一致しない日本独自の読み方(例:アユの表記に本来はナマズを意味する「鮎」)。 君:ここは語源のコーナーだから、「榑」の漢字についての説明と和語「くれ」の語源論の二つの説明が必要よ。覚悟は出来ているわね。 私:勿論だ。語源辞典も既に開いている。武器は出そろっている。 君:では、まずは和語「くれ」の語源について教えてね。 私:ほいきた。日本語源大辞典・小学館に記載を発見した。初めて出てくるのが正倉院文書、天平6年(734)。語源としては1.クロキ黒木の転(大言海)、2.クレウ(公料)の約(類聚名物考)、3.キシ(木断)の義(和訓栞)、以上の三説。早い話が定説は無い。 君:語源辞典の面目躍如という事で、古語辞典にはそこまでの記載は無いわね。 私:ははは、そうだね。そして国訓「榑」だが、漢音で「フ」形声。大きいという語源。つまりは大きな木。あるいは日の出る所にあるという神木。「ふそう扶桑」の扶に通じる。扶桑は中国から見た我が国の別称。和語「くれ」は皮のついた丸太、あるいは薄板を意味していたが、神社がくれぶきである事から「榑」の字を充てたらしいね。平安時代には山出しの板材として長さ十二尺・幅六寸・厚さ四寸の規格が定められた。別名「くれき、へぎ板、せいた背板」。 君:神社の「くれぶき」は一種、清純・荘厳な感じがするわね。 私:ははは、それはそうだが。村にあるくれぶき屋根というと、がらりと意味合いが異なってくるね。 君:そうね。母屋は瓦葺だけど、納屋がくれぶきというような感じよね。 私:そうだね。牛小屋とかね。多少の雨漏りは気にしない、というようなおんぼろ小屋のイメージだ。つまりはザ・村社会では、庄屋さんの立派なお家はかやぶきで庶民の家々はくれぶき。くれが風で飛ばないように重しの石が何個も屋根に乗っている、なんてのが戦前あたりまでの飛騨の家々だったね。 君:まさか、あなたのお家もくれぶきだったの? 私:いやあ、さすがに我が家はそこまでは貧乏じゃなかった。一応は瓦屋根だった。村の家々も大半が瓦屋根、あるいはトタン屋根だったが、くれぶき屋根の家は近隣の村々に散見されたので、子供心に生活が大変なんだろうな、なんて思い込んでしまった事があったよ。我が家でも小屋が何か所かあって、屋根は全て「くれ」だった。 君:飛騨地方って大雪の地方じゃないの。「くれぶき」の屋根に石を乗せる訳だから、屋根の傾斜に限度があるでしょ。大雪でぺしゃんこにならないの? 私:そうならないように斜めのつっかい棒を壁の支えにするんだ。小屋だから最悪のケースとして雪の重みで倒壊だが、そうならないようにせっせと屋根の雪降しをすればよい。 君:下呂あたり、つまり南飛騨は雪があまり降らないから助かるのよね。 私:逆に北飛騨、つまりは神岡・福地・上宝あたりは名うての豪雪地帯だね。我が家(久々野町大西)はかつて豪雪地帯だった。冬はあっという間に根雪。スキーで小学校に通学したり、体育は勿論、スキー。小学校の校庭の雪踏み作業なんてのもしょっちゅうやらされていたね。横隊を組んで校庭の新雪を踏んでいくんだ。 君:木は豊富にある地方だから「くれぶき」の材料には事欠かないわね。近世までは飛騨の村々では「かやぶき」すら富の象徴だったのよね。 |
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