大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
みだらし(御手洗団子) |
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私:「みだらし」と言えば大切な飛騨の味。 君:まずは全国の皆様に説明をお願いね。 私:団子。縁日の屋台で売られる事が多いが、高山市内では町のあちこちで売られ、立ち食い或いは歩きながら食べるのが普通。蜜と醤油のたれにて香ばしい香りに誘われる。食べると甘い。団子の数は必ず5。 君:要は、みたらし団子。 私:そう。京都・みたらし団子が、飛騨・みだらし団子だ。 君:今夜は実につまらない記事ね。 私:そうおっしゃるだろうと思って、あれこれ調べものをした。 君:へえ、濁音化した時代が判明したのね! 私:残念ながら。飛騨でも、みたらし、で立派に通用します。 君:語源となると京都の、下賀茂神社の御手洗祭(みたらしまつり・さい)で売られたのがはじまり、とか、沢山のネット記事があるわよ。 私:その通りなんだ。特に付け加える事もない。 君:今夜は本当につまらない記事だわ。 私:御手洗(みたらし)について考えてみよう。み・て・あらい、にて「みたらい」ならば話はわかるが、どうして「たらし」なのだろう。若しかして「み御」+「たらし垂」かな。 君:下賀茂神社のお名前に「たらし垂」というのもね。 私:当サイトはエンタメ系である事を言いことに珍説を考えてみた。「み御」+「あたらし惜」の転ではなかろうか。 君:ほほほ、何の根拠もないのに。歴史的観点からはアウトよ。 私:言葉遊び的観点からは合格だ。「み・あたらし」が「みたらし」は如何にもありそうなこと。 君:ぶふっ、これってあなたがよく使う感動詞よ。お返しするわ。 私:古語的にも意味は合う。別の和語として形シク「あらたし新」があったが、これが平安に意味はそのもので形動ナリ「あらた」と形シク「あたらし新」に分裂、近世にはこの「あたらし」から「あたらしい新」が生まれた。更に元々は「あたらし惜」が万葉集にある。意味は、あまりにもすばらしくてそのままにしておくのは惜しい。そしてここに至り平安に「あたらし新」が加わる。当然の結果として「あたらし」の音韻で「惜・新」の二つの形容詞が出現し意味の混淆が生じたという形容詞の歴史。下賀茂神社は、崇神天皇の7年(BC90)だが、御手洗祭は平安朝から。という事で、手を洗うお祭りなのにどうして「みたらい」でないのか、僕は不思議で仕方ない。どなたか教えてくださいな。だから必死に考えたんだ。「あたらし惜・新」が語源かも。一歩も譲らないぞ。 君:それはともかく、垂れがたっぷりの団子だから、御垂らし団子、と考えるとすっきりするわね。 私:卵が先か、鶏が先か、という事だが、残念ながら神社が先で、団子は後だ。 君:みたらし(団子)の方が新しい(=歴史的により古い)訳では無かった、という事でサゲ。ほほほ |
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